ありがた迷惑の極み!? 「サンキューハザード」
ハザードランプの正式名称は、「非常点滅表示灯」という。
道路交通法施行令第18条では「夜間、道路(歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては、車道)の幅員が5.5m以上の道路に停車し、又は駐車している時は、車両の保安基準に関する規定により設けられる非常点滅表示灯又は尾灯をつけなければならない」とされている。
しかし、ガソリンスタンドから道路に入る際や道路の合流で道を譲ったときにハザードランプを2、3回点滅されたという人はいるだろう。
この使い方は非公式なカーコミュニケーションを代表するもので、慣習的に「ありがとう」や「すみません」などの意味の「サンキューハザード」と呼ばれて使われていることが多い。
しかし、ハザードランプのハザード(Hazard)は、「危険」や「危険因子」などを意味する英語で、主に周囲に危険を知らせる目的で使われるもの。慣習的に使われていて交通違反とは明確に言えないまでも、実はまったく推奨できない使い方なのだ。
サンキューハザードを出したとき、例えば……
■サンキューハザードの意味を知らず、前車がハザードを点滅させたので危険な状態が起きたと勘違いして急ブレーキをかけ、そこにさらに後続車が追突
■サンキューハザードを出さないのは違法ではないが、「譲ったのに挨拶もない」とトラブルに発展(筆者経験済み)
■謝意を伝えることと要緊急停止が同時に起きた場合、後続車が判断できずに追突
なども考えられる。
さらに、ドライバーが意識を失うなどした際、自動的に車両を止めるシステム「ドライバー異常時対応システム」の導入が始まっていることもハザードランプの乱用を控えるべき理由のひとつ。
ドライバー異常時対応システムの搭載は、重大事故を防ぐために大型バスなどが先行したが、乗用車にも広がりつつあり、周囲のクルマに異常事態を知らせるためにホーンやハザードランプを点滅させたりもする。今後はさらに搭載車が増え、必要不可欠な装備となるはずだ。
よって、安易なハザードランプの使用は、緊急事態が起きている状態と混同するおそれもあり、JAFでも「推奨できない」との見解を示している。
「ありがとう」や「すみません」を伝えるのであれば、もっとも簡単な方法として「手を挙げる」、「わざわざお金をかけるのか?」という声もあるだろうが家電量販店などでも販売されている「後続車へ謝意を伝える“ありがとうランプ”」、“ありがとうステッカー”を装備するという方法もある。
円滑なカーコミュニケーションをとることが難しいのは確か。だが本来の意味と混同させ、さらに事故にもつながりかねないものは絶対にやめておきたい。
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コメント
コメントの使い方どうでもいいけど、ヤマト運輸同士のハザード5回点滅は紛らわしいから止めてほしいわ。
そもそも
こんなんでトラブルになるのは
ドライバーの状況判断が出来ていないだけ
ハザードだって何で出してるのか
状況見れば大体分かるはず
ソコで事故らなくても
他で事故ってるわ
そんな奴
くだらない記事
サンキューハザードがない故に、殺人や煽り運転が起こる可能性は大いにあるよね。そんな所もシュミレーションしてほしい。
サンキューハザードをしない人間で、そもそものハザードランプの位置を知らない人間が多い事も考えてほしい。
身勝手で強引な割り込みをごまかすためのサンキューハザードは必要だ。サンキューハザードがあることで、緊急時に後続車の反応がおくれたまに人が死のうとどうでもいい。
世の中にはそういう人達もいる…。
サンキューハザードが必要って人たちは、通行帯違反のあげく前に右折車がいるとウィンカ―とほぼ同時の急ハンドルで左に車線変更とか止める気ゼロでしょ。
サンキューハザードは必要。
ただの割り込み魔になるか、仕方なく入れさせてもらったかの判断になる。
わりとまともな内容ではあるが
「サンキューハザードが横行すると、ハザードを本来の意味で使った場合に、後続車の反応がおくれる」
ということもはっきり指摘したほうがいい。サンキューハザードなんてものがなければ、年間何人かは死なずに済んでいる。
>1%以下の特殊例を円滑な99%と並び立てるとこういう論理になります。
「100回に1回くらい人が死んでもいいじゃんwww」
やばすぎでしょ…。
ハザードランプのそもそもの意味を知ってれば、ブレーキ踏むなり、減速します。故にそれでも起きてる事故は、サンキュー有ろうが無かろうが事故ってるってことです。
結果的に「サンキューハザードかよ!ふざけんなよ」みたいな
周囲にはお前らの前後のやり取りなんかしったこっちゃねー(わかるわけねー)わけで
ギョッとするタイミング、ウィンカーかとまず誤認することもあるわけで
確実に「サンキューハザードあったがゆえに危険となった」事実は存在しちゃうからな
他の行為で感謝を示せとも思うし。手を挙げるなり会釈なりその他の行為じゃ満足しないんか?とか色々思うが
1%以下の特殊例を円滑な99%と並び立てるとこういう論理になります。
目立つ一例や声の大きい一部に囚われず、全体にとってより利益が大きいのは何かを考えなければなりません。
マスコミ関係ではとてもよくある手法なので、見る側・読む側のリテラシーが大切になってきます。