■1985年にライトデューティ系のプラドが分岐
では3本の系統樹のうち、もう1本はどこで分かれたか。それを説明するためにはランクルの本流である40シリーズに話を戻す必要がある。
1960年に登場した40系は、質実剛健さと優れた走行性能があいまって世界的なヒット作となり、なんと24年に渡って生き長らえた。独立型のフロントフェンダー(泥除け)がさすがに古臭くなり、後継モデルとなる70型にバトンタッチしたのは1984年のことだ(その70系も改良を続けてロングセラーとなり、21世紀まで生き延びるランクルの重要な幹となる)。
その70系でもうひとつの系統分岐が起きたのは1985年のこと。本来のランクルのタフな役割は、バンボディを持たせた70系(ヘビーデューティ系)として存続させる一方で、オンロードユースを重視したワゴンモデル(ライトデューティ系)を独立させたのだ。
このワゴンモデルは、ランクルの性能をより手軽に味わってもらうために、ピックアップトラックであるハイラックスのパーツを数多く使っていた点がポイント。エンジン、トランスミッションはもちろん、サスペンションにもハイラックスの足回りを使った。
このワゴンモデルはしばらくの間、「70ワゴン」などと呼ばれていたのだが、デビューから5年後の1990年に「プラド」というサブネームを与えられる。そう。これこそがランクルのライトデューティ系を担うプラドの源流というわけだ。
プラドはその後、90系(1996年)、120系(2002年)と進化を続け、現在の150系(2009年)に至っている。120系からは同車のシャシーがレクサスにも共有されるようになり、レクサスGXという派生モデルが誕生している。
ということで、ランクルのおおまかな系統がお分かりいただけただろうか。2023年中には次期プラドもデビューするといわれている。トヨタの輸出市場の屋台骨の過去を振り返りながら、その登場を楽しみに待とう!
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コメントの使い方日本車で最初に輸出に成功した車がランクル40
その後、武骨な40からワゴンスタイルのFJ55が誕生。こちらがのちの60、80、100、200、現在の300に。そして40の後継が70で現在も生産されオーストラリアなどに輸出されてる。
一方、RV人気でパジェロの対抗として70の派生型プラドが誕生。現在のプラドに。
以上3系列です