日本を代表するオフロード車であるトヨタ ランドクルーザー(通称ランクル)。しかしランクルとひと口にいっても「200」「300」などと呼ばれるステーションワゴン系、「70系」と呼ばれる「ヘビーデューティ系」、プラドとして知られる「ライトデューティ系」という3車型が別々に進化を遂げてきた。どうしてそうなったのか。ランクルの系譜を説明しよう。
文/ベストカーWeb編集部、写真/トヨタ自動車
■警察予備隊の試作要請がランクルの始まり
ランクルの系譜を覚えるには、3本に分かれる系統樹をイメージしてほしい。その起点に位置するのが、1951年に登場したBJ型だ。
1951年といえば、日本はまだ連合国軍の占領下にあった。その頃存在した警察予備隊(現在の陸上自衛隊)が自前の4輪駆動車を必要とすることになり、自動車メーカーに試作要請を出したことがことのはじまり。
日産や三菱がその要請に応える中、トヨタは小型トラックSB型のラダーフレームに、これまたトラック用のB型エンジンを搭載した試作車を作った。これが「トヨタ ジープ」と呼ばれたBJ型である。
トヨタ ジープは惜しくも警察予備隊の採用からは外れてしまうのだが(採用されたのは米ウイリス・オーバーランド社のノックダウン生産だった三菱ジープ)、富士山の6合目まで踏破したという優れた走破性は捨てがたく、国家地方警察(後の警察庁)のパトロール車両として採用される。
いっぽう「ジープ」という名前がウイリス社の商標に抵触するため、1954年にトヨタは車名の変更に踏み切った。当時すでに英国ローバー社が「ランドローバー(陸の海賊)」を発売していたため、トヨタは海賊退治という決意も込めて「ランドクルーザー(陸の巡洋艦)」を名乗った。これが今に至るランクルの始まりだ。
■1967年に豪華系ステーションワゴンが分離
その後、ランクルは20系、40系へと進化を遂げるのだが、系統樹の最初の分岐が起きたのが、40系発売から7年がたった1967年のこと。当時のアメリカ市場では、オフロード車を乗用車として使う需要が生まれており、トヨタはこの需要に応える必要があると考えた。
その結果、40系から分離・独立したのが、50系(マニアは55型あるいは56型と呼ぶ)というステーションワゴンモデルだ。50系は、40系に存在したロングボディ仕様に、乗用車としての快適性と豪華さを与えたモデル。上質な乗り心地とロングドライブにも耐える静粛性を備えた点が特長だった。
この50系こそが、現代の300系へと至る豪華版ランドクルーザーの原点だ。1980年に60系、1889年に80系へと進化し、100系(1998年)、200系(2007年)を経て現在の300系に至る系譜である。
コメント
コメントの使い方日本車で最初に輸出に成功した車がランクル40
その後、武骨な40からワゴンスタイルのFJ55が誕生。こちらがのちの60、80、100、200、現在の300に。そして40の後継が70で現在も生産されオーストラリアなどに輸出されてる。
一方、RV人気でパジェロの対抗として70の派生型プラドが誕生。現在のプラドに。
以上3系列です