今でこそ世界的な大企業に成長し、安定企業の見本のように語られるトヨタだが、80年以上の歴史の中で大きな危機がないわけではなかった。時間を大きく遡り、今では信じられない「崖っぷちのトヨタ」を紐解いてみる。
※本稿は2023年4月のものです
文/鈴木直也、写真/ベストカー編集部、トヨタ自動車、FavCars.com
初出:『ベストカー』2023年5月26日号
■最初の倒産危機は1940年代
安定企業の代表選手だけに、「トヨタの危機」というと歴史を遡って探さないと見つからない。
よく知られているのは、1949年の「ドッジ不況」による経営悪化だ。
この当時、日本はまだ連合国による占領統治下で、権力の頂点にあったGHQはインフレ収束のため超緊縮政策を命令。敗戦からの復興を賭けて大きな投資をしたタイミングでぱったりクルマが売れなくなる……。さすがのトヨタも崖っぷちまで追い詰められたのだ。
この当時のエピソードは、TBSが制作した「リーダーズ」というTVドラマにリアルに描かれている。
倒産寸前に陥ったトヨタは、人員整理の責任をとって1950年、豊田喜一郎社長が退任し、日銀名古屋支店から融資保証を取り付けて危機をしのぐ。
その際「機屋(織機屋)に貸す金はあっても鍛冶屋(クルマ屋)に貸す金はない」と言って融資を拒否したのが住友銀行。これ以降、住銀はトヨタから出禁となり、三井銀と住友銀が合併して三井住友銀行が発足するまで、トヨタの敷居をまたぐことができなかった。
この体験がトラウマとなったのかもしれないが、以後のトヨタは慎重な経営姿勢で危機を乗り越えて行く。
■排ガス規制も早期にクリア
最初の試練は1973年の第1次石油ショックとマスキー法に端を発する排ガス規制のダブルパンチだが、およそ入手可能な排ガス処理技術をすべて試した結果、電子制御燃料噴射+三元触媒という正解にいち早くたどり着いたのがトヨタ。
また、標準エンジンをすべてDOHC4バルブ化する「ハイメカツインカム」で燃費性能を高めるなど、大胆な技術投資を敢行。このあたりから、隙のないトヨタというイメージが確立してくる。
コメント
コメントの使い方トヨタは長い間、日経連、経団連に顔を向けてこなかった。当時、”三河の田舎侍がー”と揶揄されてきたが、理由があった。それほ経団連のだらしなさを見抜いていたからだ。トヨタは石橋をたたいて渡るとか、乾いたタオルをまた絞るとも。今のトヨタがあるのは先代の社員が頑張ってきたおかげ。関連会社で働いてた当時、大野耐一副社長に生産方式よく聞かされた