カリスマエンジニアは生きていた? コーリン・チャップマン生存説
次に紹介するのは、スーパーカーではなくその生みの親に関する都市伝説だ。
1982年12月16日、世界の自動車&自動車レース史に名を残すイギリスのコーリン・チャップマンは、心筋梗塞によって54歳の生涯を終えた。まだまだ現役で活躍中だった彼を襲った突然の悲劇に、世界中のファンが哀悼の意を示した。
レーシングチームとして、そして中規模自動車メーカーとして知られるロータスはコーリン・チャップマンによって創立された。
チャップマンは数多くの新機軸をレース界に持ち込み、あるときは圧倒的な速さでレースを制圧し、そしてまたあるときは、あまりに先を行きすぎたために失敗作と呼ばれるマシンも作り出している。
そしてレースと並行して市販車の製造・販売も手がけ、特にライトウェイトスポーツカーでは傑作車を何台も生み出している。厳密にいうとロータス製のクルマはスーパーカーとは呼べないかもしれないが、ロータス ヨーロッパが1970年代スーパーカーブームの主役の1台であったのは間違いない。
そんな天才かつカリスマエンジニアのチャップマンが突然の死を遂げた後、奇妙な都市伝説がささやかれるようになった。
それは「チャップマンは南米で生きている」というもの。
実は、大いなる野心家でもあったチャップマンが、死の直前に新興自動車メーカーのデロリアンに対し、技術協力の資金に関する不正送金を行わせていたというウワサがある。
実際、この当時にロータスカーズの財務担当役員だったフレッド・ブッシェルは、デロリアンに関連する不正容疑で逮捕され、服役している。
チャップマンが存命だった場合も逮捕は免れなかったとの話もあり、それを恐れたチャップマンが自身の死を偽装して南米に逃亡し、そのまま余生を送ったというのがチャップマン生存説だ。
ただし、この都市伝説については証拠が乏しく、その後、チャップマン生存を裏付ける証言が出てこないことからみても、やはりチャップマンは心筋梗塞で急逝したと考えるのが妥当だ。
数多くの独創的なレースカー&市販車を世に送り出し、年齢的にもさらなる活躍が期待されていたチャップマン。
その生存説は、チャップマンのカリスマに魅せられたファンたちの「生きていてほしい」という願望が生み出したものだったのだろうか?
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