もはや日本車と言ってもいいほど日本の風景に溶け込んでいるフォルクスワーゲンのクルマ。それもそのはず。フォルクスワーゲンは日本に上陸して今年で70年にもなるのだ。こいつを記念してディーラーでは、記念Tシャツがもらえる「I♡VWキャンペーン」も実施中。ならばこのおめでたいタイミングを利用して、同社の歩んだ70年を、ちょっと振り返ってみよう。
文/ベストカーWeb編集部、写真/ヤナセ、フォルクスワーゲン
■クラウンもスカイラインもない時代に上陸したビートル
第二次大戦前にポルシェ博士が設計したフォルクスワーゲン タイプ1(初代ビートル)。こいつが実際の生産に漕ぎつけたのは、戦争が終わった1945年のことだ。戦禍の焼け野原で作られ始めたタイプ1は先進的な設計や手頃な価格が支持され、世界的な大ヒット車へと成長することになる。
そんなタイプ1が日本に上陸するのは、生産開始からわずか8年後の1953年のこと。輸入を手がけたのは梁瀬商事(現ヤナセ)。当時同社はアメリカのGMと関係が深かったが、自動車の大衆化を予期してフォルクスワーゲンとも契約を結び、108台のタイプIと3台のタイプ2(俗にいうワーゲンバス)を持ち込んだ。
当時のタイプIの価格はスタンダードが74万円、デラックスが80万円。一瞬「安い!」と感じる数字だが、その頃は大卒公務員の初任給が7,650円だったというから、高嶺の花にもほどがある。それでも庶民はフォルクスワーゲンに興味津々で、展示会には多くのファンが訪れたそうだ。
以来フォルクスワーゲンは、多くの日本人に愛されるとともに、技術や性能で日本のモータリゼーションに計り知れない影響を与えてきた。
1975年には、フォルクスワーゲンの伝統でもあった空冷リアドライブに別れを告げ、FF方式を採用する新たな大衆車ゴルフを発売。翌年には一回り大きなパサートも投入し、市場での存在感を高めた。とりわけゴルフが与えた衝撃はすさまじく、故徳大寺有恒氏がベストセラー「間違いだらけのクルマ選び」を書くきっかけとなったのは有名な逸話だ。
■日本車ユーザーも引き付けるVWの魅力
1980年代になるとビジネス的な変革も訪れた。1983年にドイツ本国のフォルクスワーゲンが100%出資する日本法人「フォルクスワーゲン グループ ジャパン」が誕生し、輸入から販売、アフターサービスまでを一貫して担う体制が確立したのだ。
翌84年にはゴルフの弟分ともいえるハッチバック車「ポロ(2代目モデル)」を導入、輸入車の敷居を大きく下げることにも成功する。1990年代にはトヨタとの提携によって販売店舗「Duo」がスタート(現在は解消済み)。フォルクスワーゲンはいっそう親しみのある存在として日本になじんでいった。
2000年代になると、フォルクスワーゲンは新たなマーケットへと乗り出す。成長しつつあるSUV市場に着目し、4WDモデル「トゥアレグ」を投入したのだ。
以来、日本のフォルクスワーゲンはティグアン、T-Roc、T-Crossといった人気SUVモデルを投入し、輸入車ファンはもちろん、日本車ユーザーすら惹き付ける、魅力的な存在であり続けている。
そして現在。脱炭素という世界的な潮流に乗り、日本のフォルクスワーゲンも変わろうとしている。もともとeゴルフなどを通じて電動化と取り組んできたが、昨年11月にCセグメントSUV「ID.4」を投入してEV市場に本格参入を果たした。
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