日産マーチはなぜ凋落したのか? かつて最も愛されていたのに


 現在、日本で発売されている日産マーチ(K13型)は、2009年に登場したモデルだ。

 2018年売れまくったノートの陰に隠れ、マーチの存在感はほぼ消えており、販売台数も直近の2019年4月は757台と落ち込んでしまっている(ちなみにノートは同月7405台)。

 マーチはなぜここまで凋落してしまったのか。そして、海外では2017年から販売されているマーチ後継車のMICRA(K14型)が、どうして日本導入されないのか。その理由について、元日産エンジニアの立場から考察したい。
文:吉川賢一 写真:NISSAN

■なぜ凋落したのか?

 その理由は言うまでもなく「商品魅力がない」ことにある。

 マーチは歴代、モデルチェンジサイクルの長いクルマだった。初代K10マーチは約11年、2代目にあたるK11型も約11年、3代目K12は約9年、そして現行型にあたるK13も今年で10年目だ。

写真は現行型マーチ(K13型)の初期型(マイチェン前)。登場時の月販目標台数は4000台であった

 ターボを積んで「じゃじゃ馬」と呼ばれたり、ヨーロッパ意識したお洒落なデザインで海外でも大ヒットしたり、カエルの様な顔で登場したりと、コンセプトを変えながら、「濃いキャラクター」を生かしてファンを獲得し続けてきた。しかしK13型へのモデルチェンジの際、「とにかく安く」という方針を取ったことが日産のミスリードだったと、筆者は考える。

日本カー・オブ・ザ・イヤーで大賞を受賞し(1992-1993)、日本車として初めて欧州カー・オブ・ザ・イヤーも獲得した2代目マーチ。日本車を代表するコンパクトカーとして隆盛を極めていた

■コスト低減に振り切りすぎたK13

 当時(現行型マーチの開発期間中)、次期型マーチに向けたV-プラットフォーム開発の部隊では、世界最安のクルマを販売していたインドTATAモーターズの車を購入して猛研究するほどに、コスト低減が叫ばれていた。

 約20万円という販売価格で作ることができるクルマに、日産上層部は疑問と憧れを抱いたのだろう。

 TATAから学んだ開発部隊は、K13開発にて、贅沢を削ぎ、最低限の装備に絞り、流用できるパーツはそのまま使い、そして極限の軽量化を行った。当時の笑い話としては、「タイヤは本当に4つ必要か?」という論議もあったほどだ。

 またK12のデザインの評判が良かったことで、「デザインはキープコンセプト」となり、細部の修正のみでほぼ変更をせず、その結果デビューした姿は、K12マーチをベースにした、一世代前のヴィッツの様な姿になってしまった。

 その結果、K13は、エンジン改良による燃費改善と、女性ファンに評判の良かったボディカラーの豊富さ、そして数えるほどの小改良程度と、デビュー直後とはいえ、魅力がほとんど残っていなかったのだ。2010年にはオートカラーアウォードでファッションカラー賞を受賞するなどした。しかし、ボディカラーは生産工場の設備改善で、どのメーカーでもすぐに導入できる技術であり、その後、他メーカーも追従したことで、K13マーチだけの魅力とは言えなくなった。

現行型マーチは2013年6月にマイナーチェンジを実施。それ以降、目立った変更を加えていない

 また2013年にはNISMO/NISMO Sを導入し、モータースポーツファンへも応えたが、これもK12のNISMOマーチの経験をなぞったに過ぎない。K13が国内登場してから既に10年、だれにも見向きもされない存在になった。それが、今のマーチの姿なのではないだろうか。

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