初期の自動車とは屋根のない乗り物であった。自動車が普及し、幌から硬い屋根が付くようになってからオープンカーは趣味の乗り物となったのだ。その歴史は長いが、今日の多くのオープンカーはマツダロードスターの影響を受けていると言える。そんなロードスターがトレンドメーカーであった歴史を振り返ってみよう。
文/西川昇吾、写真/MAZDA、HONDA、Adobe Stock
■趣味のオープンカーは大戦後から始まった
自動車は100年以上の歴史があるが、硬い屋根が広く普及するキッカケとなったのは1921年にアメリカで登場したエセックスコーチというクルマにある。
このクルマは屋根付きのセダンにも関わらず安価であった。この商品特徴がクローズドボディを普及させる起爆剤となったのだ。
1919年の時点ではアメリカ全体で約1割だったクローズドボディの割合が、このモデルの登場により1929年には9割になったそうだ。
こうして自動車はクローズドボディである。というのがモータリゼーションの国で一般的となり、オープンカーは趣味のクルマとなる訳だが、そんな文化が根付いていったのは第二次大戦後の話となる。
欧州に派遣されたアメリカ兵たちが、現地の小型オープンカーに魅了されて祖国に持ち帰ったことで、趣向性の高いクルマの市場を作ったと言われている。
■趣味のクルマの印象が強かった! オープンカー市場は下火に
以降、20世紀中頃から1990年ごろまではオープンカーは趣味性の高いクルマとして認知されていた。
つまり、普段使いするという考え方は少なかったと言える。幌は付いているけれども、それはあくまでも緊急時のものという考えが一般的であっただろう。
また、壊れやすく手間がかかり、価格もそこまで安価ではないという側面もあり、趣味のクルマというイメージがよくも悪くもあったのではないだろうか。
また、オイルショックによるスポーツカー需要の低迷や、その後は高性能化がトレンドとなり、ハイパフォーマンスで豪華であることがスポーツモデルのトレンドでもあった。つまり小型のオープンカーはあまり見向きされなくなっていたのだ。
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