GT-Rブランドが半世紀受け継がれた理由とは?

■あくまで「ハコ」にこだわったR35というグローバルGT-R

 この歴史を財産として、世界に通用するスーパーカーとしてR35GT-Rが企画されるのだが、それをミッドシップ2シーターのようなありきたりなカタチにしなかったことが、もうひとつ重要なGT-Rならではのブランド価値を生んでいる。

 第2世代GT-R(R32〜R34)までのような市販車ベースのレース用ホモロゲマシンという制約がなくなったのだから、R35はどんなカタチにでもなり得た。

まさにレースで勝つために生まれたR32 スカイラインGT-R。その心臓部RB26DETTもまさにレーススペックをデチューンしたもので、少しのチューニングで400ps近くのパワーをたたき出す代物だった

 パフォーマンスだけを狙うなら、たとえばフェラーリやランボルギーニのようなパッケージでも良かったわけだ。

 しかし、チーフエンジニア水野和敏がこだわったのは「最速のハコ」としてのGT-Rの伝統。

 3.8LのV6ツインターボや、それに連なるトランスアクスルといったパワートレーンには制約なしにベストを求めたが、それを組み込むボディは4人乗りのクーペ。

 車名から「スカイライン」という名前は消えたが、初代からの伝統を受け継ぐパッケージが選ばれている。

 こういう箱のパッケージで世界最速クラスを狙っている点がR35GT-Rのユニークなところ。箱車でポルシェ904に挑んだスカG以来の伝統は、いまだR35GT-Rに息づいているのだ。

 そして最後に、これは「知る人ぞ知る」かもしれないが、現行R35GT-Rを語る上で、それを創り上げた水野和敏というエンジニアの強烈な個性も、GT-Rのブランドイメージ形成の重要なピースとなっているように思う。

R35 GT-Rを作り上げた開発責任者の水野氏(左)。社内のテストドライバーだけを起用せず、レーシングドライバー鈴木利男氏(右)をメイン開発ドライバーに起用するなど、その開発手法には一切の妥協がなかった

 サラリーマン的な技術者が多い日本の自動車メーカーにあって、水野和敏のキャラは掟破りの一匹狼そのもの。

 日産を牽引するアイコンの必要性をカルロスゴーンに説き、周囲を敵に回すことを恐れず徹底的に自分のやりたいクルマ造りを貫いた水野が居なければ、たぶんR35GT-Rが日の目を見ることはなかった。

 そういえば、第1世代は桜井眞一郎、第2世代は伊藤修令、そしてR35は水野和敏と、GT-Rはそれぞれ個性豊かなエンジニアによって世に送り出されている。

 国産車でここまで造り手の「顔」が見えるクルマはまれ。これもまた、GT-Rというブランドの大きな特徴といえるだろう。

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