【迷車編1】 ティーノ(1998年~2006年)
車幅を1,760mmまで広げ、前席2+1、後席3人の6人まで乗れるクルマとして登場、のちに100台限定でしたが「ティーノハイブリッド」を発売するなど、チャレンジをしたクルマがティーノでした。丸っこくてファニーなボディスタイルでありながら、コーナーでの走りの性能は高く、ユーザーには好評でしたが、同クラスのクルマと比較して車重が重く、登りの山道や高速道路の登坂車線での追い越しでは、アクセルベタ踏みしないと厳しかったようです。
フロント3列シート車は魅力的には映るのですが、狭い日本国内ではその車幅が影響してか、不人気になりやすく、1代で幕を閉じた悲運のMPVとなってしまいました。
【迷車編2】 ルネッサ(1997年~2001年)
迷車で探すと必ず出てくるのがこの「ルネッサ」。マルチアメニティービークル(MAV)と日産は呼んでいましたが、当時流行りのステーションワゴンにカテゴライズされるクルマでした。大きく前後にスライドできる後席は広大なスペースを実現し、また一部グレードで前席が回転対座式となっており、まるでリビングの様に使うことができました。しかしEV車前提のフロアのため床面が高く、足元が窮屈だという声が多いなど不評でいまいち人気が出ず、1代でその幕を閉じました。昨今のアウトドアブームであれば、回転対座シートはもう一度見直されるかもしれません。
【迷車編3】 バサラ(1999年~2003年)
こちらも迷車としては有名な「バサラ」。「プレサージュの上級仕様」という立ち位置でしたが、実際にはプレサージュのバンパーやライトをちょっとだけ変更し、アメリカンな派手目のグリルとした程度の仕上げでした。
サイドから見るとほぼプレサージュのまま。
当時の顧客達も、「プレサージュの皮を代えただけのクルマ」という事にはすぐに気が付き、愛想をつかされて人気は出ず、こちらも1代で終了となりました。「小手先だけの安直なチェンジは通用しない」ことを証明した失敗事例となりました。
【迷車編4】 ラフェスタ(2004年~2018年)
全幅1,695mmのぎりぎり1,700mmを超えない車幅、左右の見切りがし易い角ばったボディ、そして乗り降りしやすい小振りなシート、後席へ子供を乗せやすい低いルーフ、明るいパノラミックルーフなど、ママの声を聞いて全部入れ込んだ究極の便利クルマが「ラフェスタ」です。しかし、当時主流だったホンダストリームやウィッシュに比べ、外観がイマイチすぎて人気はでず、また、パパの未練を表したかの様な「パドルシフト」が用意されるなど、チグハグなコンセプトが不評だったようです。
なお2代目ラフェスタはマツダ・プレマシーのOEMであり、スタイリッシュなボディを得ましたが、ロールーフミニバン市場の衰退によって、2018年3月にカタログから消えました。
■まとめ
日産に限らず、どのクルマメーカーも、その時代のリクエストに合わせて一生懸命に作っているため、「迷車」と言われると歯がゆい思いをする開発担当者は多いでしょう。
でもこうした「名車・迷車」リストにすら挙げられず、消えていったクルマもたくさんあります。よくも悪くも、心に残るクルマになると、永らく語り続けられるようになりますね。
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