■高級路線で成功した4ドアセダン
●日産 セドリック/グロリア
トヨタにクラウンがあれば、日産にはセドリックがあった。1960(昭和35)年に発売されたセドリックは、長期に渡って日産の屋台骨を支える4ドアセダンになった。
日産のフラッグシップたるセドリックは、初~3代目まで順調に販売台数を伸ばし、その後も手堅い人気をキープ。クラウンの対抗馬として存在感を常に示していた。
そんなセドリックの兄弟車であり、やがて「セドグロ」とまとめて呼称されるようになったクルマがグロリアだ。
グロリアは1959(昭和34)年に当時のプリンス自動車(後に日産と合併)が開発した4ドアセダンであり、当初はプリンス スカイラインの派生車だった。
やがてグロリアの正式名称が与えられ、日本車としては初の3ナンバーでデビュー。ここから3代目まではオリジナルモデルで進化を続けた。
だが、日産がプリンス自動車を吸収合併すると、ターゲット層が重なるセドリックと違うクルマである合理的理由がなくなり、セドリックでは3代目、グロリアでは4代目から共通のプラットフォームを持つ兄弟車になった。
セドリックでは6代目、グロリア7代目の型式はY30と呼ばれた。1983(昭和58)年に登場したY30型では、それまでの直6に替えて新開発の3リッターV6エンジンモデルがラインナップされた。
230psを発生するパワフルなV6ターボエンジンは大柄なセドグロの車体を楽々と加速させ、本来のユーザーである中高年層だけでなく、若者もあこがれる4ドアセダンとしての地位を築いた。
昭和のセドグロ最後のモデルが1987(昭和62)年発売のY31型で、このY31型プラットフォームはバブルの象徴ともいうべき初代シーマでも使用され、高級車でありながら大ヒットモデルになっている。
セドグロの製造販売は2004年で終了しているが、この2車が昭和を彩った4ドアセダンであることに異論を唱える人はほとんどいないだろう。
■スタイリッシュさが魅力だった4ドアセダン
●トヨタ カリーナED
最後は4ドアセダンと呼んでよいのかは人によって意見が分かれるものの、昭和末期に登場して、そのスタイルの良さから人気を集めたカリーナEDを紹介したい。
トヨタが4代目セリカのプラットフォームを流用して仕上げた4ドアハードトップ(クーペ)モデルがカリーナED。登場は1985年(昭和60)年で、4ドアらしからぬ低く構えたフォルムが話題になった。
実際、スタイルを優先するあまり4ドアモデルとしての室内空間が犠牲になった部分はあるものの、トヨタ初のピラーレス4ドアハードトップのインパクトは大きく、それも奏功して初代カリーナEDは大ヒットといえるセールスを記録した。
そして平成の始まりの年である1989年には2代目が誕生。バブル景気最盛期に登場したこの2代目は初代を上回る豪華なモデルになったが、カリーナEDのアイデンティティであるローダウンフォルムは継承された。
1993年には3代目がデビューする。だが、カリーナEDの歴史はこの3代目で潰えることになる。
3代目カリーナEDが特にダメなクルマというわけではなかったが、市場のニーズはオシャレなセダンよりも実用性の高いステーションワゴンやミニバン、SUV(当時はRVと呼ばれた)にシフトしていて、それが販売台数にも影響してしまった。
こうしてカリーナEDは1998年に生産終了となるが、シリーズ自体がもう少し早く登場していれば、昭和の名車としてより評価されていたかもしれない。
令和5年の現在、自動車市場における4ドアセダンの地位は昭和のそれとは大きく異なっている。しかし、4ドアセダンの王道であるクラウンでは新型がリリースされ、まだまだセダンにも可能性があることを示している。
昭和の4ドアセダンには魅力的なモデルが多かった。今回の記事で紹介した車種はそのほんの一部でしかない。機会があったら、また別の昭和を代表する4ドアセダンを紹介したい。
【画像ギャラリー】昭和のZ世代も夢中になった栄光のセダンたち(20枚)画像ギャラリー
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