スカイライン史上初の3ナンバー専用ボディは肥満化したとの酷評だった
クルマ好きの間ではR32型スカイラインは高く評価された。R31型時代から格段に進化したサスペンション性能や車体剛性などにより、当時の日本車のレバルから見たら圧倒的な操縦性能を手に入れたことで、名実ともに「走りのスカイライン」が現実のものとなったのだ。GT-Rの開発を前提とした車体設計が大きく功を奏したのだろう。2ドアクーペだけではなく、4ドアセダンの操縦性能も高く、S54BやKPGC10型で得た「羊の皮を被った狼」がスカイラインに帰ってきたのだ。
しかし一方で、特に4ドアセダンでは後席居住性を犠牲にしたことが多くの一般的ユーザーの不評を買った。ラゲッジルームのサイズもマークⅡなどに比べて狭く、このあたりが4ドアセダンユーザーには使いにくさを感じさせたのだ。
日産としてはそんなことは先刻承知のことで、同クラスにはプラットフォームを共用するローレルがあるのだから、「しっかりとした4ドアサルーン」を求めるならばローレルを選んでください、という商品戦略だったのだろう。
しかし、当時は販売チャンネルが明確に分けられており、スカイラインを扱うプリンス店にしてみれば、日産モーター店で扱うローレルを勧めることは、ライバル店にお客を送り込むことになり、「スカイラインのお客の要望」をかなえなければ、お客が他店に流れてしまうことを意味したのだ。このあたりがメーカーの狙いと販売店の思惑との乖離となった。
ちなみにスカイラインがR32型だった当時のローレルは6代目となるC33型(1989年1月登場)で、全長4690mm×全幅1695mm×全高1365mm。全長はR32型スカイラインセダンよりも110mm長く、全高は25mm高かった。ホイールベースは55mm長い2670mmで、4ドアサルーンとしての後席居住性、トランク容量を確保していた。
ちょうどR33型スカイラインの開発が進行していた1989年4月には、自動車税の制度改革が実施され、オーバー2リッターの自動車税が格段に引き下げられた。また全幅1700mmを超えることで3ナンバーにはなるが、全幅は自動税には関係しなくなったので、従来のように全幅1700mm以下に固執する必然性も薄らいだ。
これらを背景に、スカイラインの歴史で初めてベースモデルから全車が全幅1700㎜を超える3ナンバーサイズとして企画されたのがR33型だったのだ。R33型スカイラインのボディサイズはセダンが全長4720mm(+140mm)、全幅1720mm(+25mm)、全高1360mm(+20mm)、2ドアクーペが全長4640mm(+110mm)、全幅1720mm(+25mm)、全高1340mm(+15mm)となった。カッコ内はR32型との差である。ホイールベースはR32型の2615mmから105mm延長された2720mmとなった。ホイールベースに延長分は後席足元のスペースに充てられ、クーペよりも80㎜全長が伸ばされたセダンでは、特にトランクスペースが拡大された。
正式デビュー前、別冊号の取材のために訪れた栃木のテストコースで初めてR33型を目の前にし、比較用に用意したR32型並べるとR33型はボッテっと大きく、ややもすれば鈍重な印象のアピアランスに感じられたのは事実だった。
そして1993年8月19日、R33型スカイラインがデビューするとベストカーをはじめとした自動車専門紙は「新型スカイライン」を大きく取り上げた。そこでは大きくなった車体に対して運動性能の低下を指摘する声が少なからず挙げられた。
たしかに車重は60㎏程度重くなっていたが、それ以上に論点として批判の対象となったのが、105mm延長され、2720㎜となったホイールベースだった。比較的軽く、キビキビと軽快なハンドリングで小気味よく山道を駆け抜けたR32型(特に2ドアクーペのGTS-tタイプM)に対し、R33型は操舵に対しワンテンポ反応が遅れ、もっさりと鈍重な動きとまで言われることもあった。まさに酷評だったのだ。
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