三菱自動車が独立したのは1970年4月、ずいぶんのちのことである。三菱500は「国民車構想」に近いもので、あまりヒットすることなく終わり、その次に登場した「軽」、三菱ミニカが三菱の名を広める役を担った。
文、写真/いのうえ・こーいち
■商用車をベースに登場
「軽」の商用車として1961年4月に登場したのが三菱360である。三菱らしい質実剛健といった風なそのボンネット・ヴァンは、実用性も高く人気を博した。そこで、そのヴァンをベースに乗用車をつくろう、という計画が立てられ、それは早速実行に移された。
エンジン、シャシーなどのコンポーネンツはそのまま、リア部分をノッチバック風にアレインジし、フロントグリルなどを変更することで、いとも簡単に完成したようにみえる。基本的にヴァンの三菱360が優秀であった、ということだろう。
その名は三菱ミニカ。1962年の10月であった。ヴァンのLT20系に対し、LA20系の型式が与えられた。
当時の「軽」の多くがリアエンジン/リアドライヴを採用していた中で、三菱360はオーソドックスなフロントエンジン/リアドライヴというレイアウトだった。そのおかげでリアのラゲッジスペースの大きさなど、セリングポイントも生まれた。
エンジンは当初ME21型と呼ばれる2サイクルの空冷直列2気筒359cc、17PSというもの。ヴァンに搭載されたもの、そのままであった。決してパワーフルではないけれど、最高速度80km/hで実用上は不足なし、とされた。
■足周りもヴァンそのままで
ホイールベースは1900mm、全長は当時の「軽」の枠ギリギリの2995mm。いささか寸詰まりの印象はあるけれど、しっかりと3ボックスの乗用車スタイルをしているところが三菱ミニカの特徴であった。
垂直のリアウィンドウとその両側の処理など、のちのちギャランFTOで謳った「ファストノッチバック」を先取りしているようで、とても新鮮であった。
よく見ると、小さなテールフィンがあり、トランクリッドも曲面を描いていてなかなかの意欲を感じさせる。サイドのモール、ルーフ両サイドなども垢抜けた印象を与えるものだ。
足周りは、書けばフロントが横置きのリーフにウィッシュボーン、ラバーという独立。リアはリーフのリジッド、という、これまた商用車そのまま、であった。
■チェンジを繰り返しつつ16万台
1964年11月に最初のマイナーチェンジを受ける。エンジンがオイルタンクを独立させた「分離給油方式」のME24型になる。パワーもたった1PSだがアップして18PSとなった。
つづいて1966年12月には廉価版ともいうべき「スタンダード」を追加する。これまでのモデルは「デラックス」として販売がつづけられる。
この頃になると「軽」のライヴァルたちも数多く出現してくる。対抗するためにも、ミニカはチェンジを繰り返した。1967年5月にはエンジンのパワーアップ。ME24D型エンジンはカタログ上は21PSにアップしたのだが、たとえば圧縮比等のスペック変更なしであったことから、「マジック?」などという声もあがった。
この後、フロントグリルの変更などもあったが、驚かされたのは1968年10月のチェンジだ。いきなり水冷化した2G10型23PSエンジンを導入し、その搭載車を「スーパーデラックス」としてラインアップに加えたのである。
翌1969年7月に二代目にあたるA100系「ミニカ70」にチェンジするまでに、16万台あまりを生産、のちの三菱「軽」の基礎をつくった。
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