1985年に突如として現れた車高の低い4ドアモデル、初代カリーナED。続く2代目はその初代のスタイリングをさらに洗練させたモデルだったが、当時欲しくてたまらなかった担当が振り返ってみたい。
文/ベストカーWeb編集部・渡邊龍生、写真/トヨタ
■フラッシュサーフェス化された流麗なボディライン!
私が普通免許を取得した1990年、最初の愛車として目をつけていたのがこの2代目カリーナED。一般的には初代モデルのほうが有名だとは思うのだけど、ボディ全体がフラッシュサーフェス化され、各部が丸みを帯びて流麗なデザインがたまらなくカッコよく見えたのだ。
当時、4ドアながらクーペのようなセダンが流行しており、姉妹車のコロナEXiVをはじめ、ペルソナ/ユーノス300、初代プレセアのほか、エメロード、カローラセレス/スプリンターマリノなど4ドアモデルでありながら車高が低く、クーペのようなスタイリングを持ったモデルが百花繚乱。
2代目カリーナEDも低い車高のピラーレスHTスタイルを初代モデルから継承。ボディサイドにフロントホイールアーチからリアエンドまで水平に走るウェッジシェイプモールディングが特徴だった。
さらに上位グレードには5代目ST180型セリカと同様、四輪操舵と二輪操舵の「スポーツ」と「ノーマル」の切り替えが自由に設定できたデュアルモード4WSを採用するなど1989年デビューというバブル期ならではの豪華装備が特徴だった。
■とにかくスタイルがカッコよかった……
そのエンジンラインナップは、直4の4S-Fi型1.8LDOHC(105ps)と3S-FE型2LDOHC(125ps)、3S-GE型2LDOHC(165ps)の3種類。1990年の小改良で4S-Fiは115psの4S-FEに換装され、3S-FEも140psにまでパワーをアップさせていた。
当時、免許取り立ての担当が狙ったのは最廉価グレードの1.8Lモデル。とにかくスタイリングが気に入ってこともあり、あまりエンジンパワーなどのことは考えないで購入しようとしていたのだった。
その後、紆余曲折あって急転直下、最初のマイカーに選んだのはまったく方向性の違うAE92型スプリンタートレノGT APEXだったのだが、もしあの時にカリーナEDを選んでいたらひょっとしたら現在は自動車メディア業界に身を置いてなかったのかもしれない。
2代目カリーナEDは販売台数では初代モデルの26万4500台には及ばなかったのだが、それでも19万7000台を販売。1993年には3代目モデルにバトンタッチしたのだが、3代続いたなかで最もその車名どおり、「エキサイティングドレッシー」だったのは2代目だと思っている。
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