イジりすぎてもはや原型がわからん! [フルモデルチェンジ]が凶と出た!! やらかしカー4選

■普通って何ですか? マツダ2代目デミオ(DY型)

イジりすぎて原型がわからん! フルモデルチェンジが凶と出た!! やらかしカー4選
初代デミオはコンパクトサイズでありながら、スペースユーティリティが高く、当時のコンパクトカーとしては珍しく高い実用性を備えていたことで大ヒットモデルとなった

 販売チャンネルの多様化などバブル時代の負の遺産から経営不振に陥っていたマツダが、1996年にかぎられた開発期間と予算のなかで生み出したのが初代「デミオ」(DW型)だった。

 ルーフレールを擁した現在でいうところの“クロスオーバー”のコンパクトカーは“自由形ワゴン”を名乗り、趣味性や道具感を感じさせる実直なモノづくりはユーザーの心を掴み、大ヒット。
 
 販売開始2年後の1998年には年間の登録台数が10万台を達成するなど、まさにマツダの危機を救う救世主となった。

 そんな孝行息子な初代デミオは、2002年に2代目デミオ(DY型)へとバトンを受け渡すことに。2代目はエンジンからプラットフォームまで一新されたものの、全長4m未満の取り回しのよさや立体駐車場に収まる車高など、前作のコンセプトは継承。

 ただし、当時のマツダといえば“Zoom-Zoom”のブランドメッセージを掲げ、走りやデザインテイストの統一化を進めていた真っ只中。フロントグリル周辺の処理など上位モデルの「アテンザ」や「アクセラ」などと共通のデザインが与えられた。

 よくも悪くも普通のコンパクトカー然としていた2代目だったが、セールス面を見れば初代に続き、マツダの最量販モデルとしての地位をキープした。
 
 だが、「ホンダフィット」や「トヨタヴィッツ」などの強力なライバルの登場により、その特異性は徐々に失われ、3代目、4代目では走行性能に重きを置いた新たなコンセプトへとシフトチェンジ。先代までのモデルほどの売れゆきには至らなかった。

 2019年には世界統一の名称である「Mazda2」へと切り替わった。走りのよさや上質なデザインなど現行モデルも確かに個性的ではあるが、初代の潔い商品性が今の時代にこそ魅力的に映ってしまう……。

■これじゃない感……トヨタ4代目ソアラ

 元祖“ハイソカー”初代「トヨタ・ソアラ」(Z10型)がデビューした1981年は排ガス規制により、高出力な国産車が軒並み姿を消していた時代。ソアラはそんな国産スポーツカー不遇の時代に、欧州ブランドの高級スポーツクーペに対抗すべく開発された。

 最高出力170ps、最大トルク24.0kgmを達成した2.8L直列6気筒ツインカムエンジン、国産初のデジタルディスプレイメーター、タッチパネル式のオートエアコンなど、数々の先進装備を搭載。

 同年7月には2Lモデルにターボ車も追加されるなど、豊富なエンジンバリエーションが用意されたことにより、高級車という顔に加え、ハイパワーな走りのいいクルマとしても認知された。

 そして、好景気に沸くバブル景気真っ盛りの1986年に2代目(Z20型)はデビュー。より洗練されたスタイリングを得たソアラの勢いは増し、高価格帯でありながら1991年の販売終了までの累計新車登録台数が14万台超を記録する大ヒットモデルとなった

 そんなソアラの栄光も、2001年に発表された4代目ソアラ(Z40型)で潰えてしまう。

 4代目は、当時欧州などで流行の兆しがあった電動格納式のハードトップを備えた2+2のコンバーチブルクーペへと変貌。全車5速AT、4.3LのV8エンジン搭載に、本革仕様の内装などさらなるラグジュアリー路線へと舵を切った。しかし、人気は低迷。

 レクサスが日本国内展開を開始する2005年、名称を海外仕様と同じ「レクサスSC」と変更され、ソアラの24年の歴史に幕をおろすこととなった。

 自動車が工業製品である以上、時代にあった性能やデザインに刷新されるフルモデルチェンジは避けて通れない。モデルチェンジにより結果としてモデル寿命を縮めてしまった事例もある一方、それはメーカーのユーザーに対する真摯な姿勢ともいえる。

 もしかしたら、“あのモデルチェンジはむしろ魅力的だった”と評価される時代が訪れるかもしれない。

【画像ギャラリー】大胆なフルモデルチェンジで血統が途絶えた残念なクルマたち(17枚)画像ギャラリー

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