■BNR32がニュルブルクリンクを走った
この日のトークショーのハイライトは、R32 GT-Rによるニュルブルクリンク・ノルドシュライフェ(北コース)一周動画(8分30秒)であった。1989年7月に同年の東京モーターショー用として撮影されながら、その後パブリックに対して公開されることなく保管されていたものだという。
映像はオンボードカメラ中心かと思いきや、カメラカーによるひっぱり撮影、並走からヘリコプターによる空撮までバリエーション豊かな映像素材で構成されていた。また、コーナーのアウト側グリーンに立つカメラマンの手持ちらしき映像まであり、とても一周で撮影しきれるものではない。
この動画のインパクトに驚いていると、吉川氏は「実はこの映像は、広報部や宣伝部の発意ではなく、シャシー設計部のサスペンション先行開発担当であった私が901活動(80年代後期に日産が唱えた”1990年までに技術世界一を目指す”という運動)の成果をアピールするために提案し、実現したものでした。実際にはZと一緒に走る映像がモーターショーでは使われたので、R32だけで走っているフルトラックバージョンは今日が35年ぶりの本邦初公開なのです。
ちょうど実験主担だった渡邉さんがR32 GT-Rの最後の仕上げのためにニュルで3週間+アルファほどのテスト計画を組んでいました。そこに10名もの撮影隊を引き連れて私が現れたので、渡邉さんにとってはえらい迷惑な話だったと思います。かなり邪険にされたことを覚えています」と語ると、渡邉氏は「映像を見ていて、また腹が立ってきましたよ。挨拶も手土産すらなくやってきて邪魔をするわけですから。
ご覧いただいてわかる通り、まったくやりたい放題ですよ。その都度テストを中断することになる。ついにはヘリコプターがクルマに追いつけないのでもう一度走れとかね。実験車は一台しかなく、何かがあってクルマを壊されてしまったらタスクが達成できないので、こちらとしてもピリピリしていました。もう、この男とは二度と口を聞きたくないと思いました」、と返している。
しかし皮肉なもので、その後R33 GT-Rプロジェクトが始まると、開発責任者となった渡邉氏の元に専任主担として着任したのが吉川氏だった。その時、渡邉氏は「なんで私の部下が、よりによって吉川なんだ」、と思ったという。
それでも吉川氏は、「そんな二人が再会して、最初はとてもぎこちない関係から始まりましたが、目標達成に向けて実務がスタートすると、次第に想いが揃うようになり、R32 GT-R Vスペック、そしてR33 GT-Rの開発へと進んでいきました」、と結んでいる。
くだんの未公開映像は、今後ミュウジアムでは見ることができるようになりそうだ。今回運良くこのトークショーと初公開のお宝映像放映に立ち会うこととなったファンは、一様に満足げな表情であった。 ミュウジアムが立つやまびこ公園は、諏訪湖を見下ろす高台にあり、霧ヶ峰から蓼科山、そして八ヶ岳と続く稜線(スカイライン)が美しい。
文字通りスカイラインの里にふさわしい場所であった。公園にはアスレチック施設や子供用遊具などもあり、自然と触れ合い、四季を楽しむのもよいだろう。ミュウジアム館内には、初代プリンス・スカイラインからハコスカ、ケンメリ、ニューマン、R32〜R34 GT-Rなど各世代のスカイラインが所狭しと並んでいる。そのうち数台はレース仕様である。
単一車種のみの自動車博物館は珍しく、コロナ期間を経て5年ぶりに開催されたトークショーに300名ものエンスージアストが集まるのも稀有だと思う。今後もトークイベントは企画されるようなので、共感される方はミュウジアム公式WEBのイベント案内をチェックしていただくのが良いだろう。
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