2014年11月に逝去した自動車評論家、徳大寺 有恒。ベストカーが今あるのも氏の活躍があってこそだが、ここでは2013年の本誌企画「俺と疾れ!!」をご紹介したい。ランボルギーニとフェラーリ、日本でオープンカーが受けない理由、いすゞ ステーツマンデビル、TPP……氏の回顧と読者からの質問に応えた5本を収録(本稿は『ベストカー』2013年5月26日号に掲載したものを再編集したものです/著作権上の観点から質問いただいた方の文面は非掲載とし、それに合わせて適宜修正しています)。
■ランボとフェラーリ
まさしく外は春爛漫である。我が家のある東京の世田谷は桜の木も多く、すでに散ってしまったがいいものだ。街角の桜も箱根山中の山桜もよいものである。
我々朴念仁の自動車人も桜の花を見るのが大好きである。特に4月になって箱根の山へ入ると、山桜が咲いていたりして気分がよくなる。
もとより桜は日本古来のという想いがある。アメリカのワシントンDCの桜も美しいが、多くの日本人にとって自分の近くで見る桜に感動する。いろいろなところに名品はあるのだが、それはそれとして身近な桜が一番だろう。今年も少々寒かったが、花見をし、大いに酒を飲み料理を食らって、語らいあい楽しんだ。花見は満開よりも七分から八分咲きがいい。
この花見が終わると梅雨を経て、夏となる。こいつは暑気払いとなる。そうこうしていると秋になり、月見だ。月見は京都がいい。私はなじみの宿で月見をやる。京都というところはそういうことを律儀にやる。そこが京都のいいところだ。
こうして京都の旅館俵屋の流儀に従っていくといつしか一年がくれてしまう。それはそれでよしとしよう。
まだ春の頃から秋を想う。これもいいじゃないか。昨年も月見を俵屋で過ごした。今年は家でやるか? 風流といえばそうなのだが、そんな風流と遠い存在になってしまった日本人が残念といえば残念だ。
話しを変えよう。二玄社から『1960 Memorial CARS』という本を手に入れた。パラパラめくってみると懐かしい古いクルマばかりの本である。アルピーヌA110からシェルビィ・コブラ、ロータスヨーロッパなど懐かしい。
もちろんスバル1300はじめ日本の古いクルマも懐かしく楽しげである。
同じイタリア人でありながら、フェラーリに対抗したフェルッチオ・ランボルギーニ、トラクター作りで成功した彼は「俺のクルマは助手席に座るレディのメイクを落とさない快適なクルマを作りたい」とエアコンをつけたランボルギーニ、ミウラもイオタも今となっては懐かしい。
エンツォに対抗したランボ、それはそれなりに美しく華やいだストーリーだ。
V型12気筒にこだわったご両人だが、すでに鬼籍に入り、もはや文字だけの物語になってしまったが、その意地のぶつかり合いは常に、注目だった。
例えば最高速度302km/hのフェラーリを超えるために最高速度を305km/hにする。どうでもいいことであるが、とにかく両社はムキになった。
ランボルギーニ・ミウラのV12、3.9Lはキャブレターをつけ350psを絞り出す。レーシングユニットでもないのに、1L当たり80ps以上というから驚きだ。フェラーリの当時の主力は275GTBでV12、3.3L、300psだったからその凄さがわかる。ミウラに触発され“デイトナ”こと365GTB/4を世に出す。そのようにフェラーリとランボはいつも渡り合った。
渡り合ったのはこの2人だけではない。この2人はクルマを買ったユーザーも二分させた。どちらも250km/hを超えたスピードレンジでも安定感を追い求めた。思えばいい時代だった。
このランボとフェラーリに割って入るべく開発されたのが、日本のサバンナを改造したロータリースペシャルで、速かったのだが、リスクも高かった。フェラーリ365GT4BB、ランボルギーニP400ミウラ、2つのキングに立ち向かった。場所はJARI(茨城県谷田部にあった高速周回路)であった。
多くのチューナーを巻き込んでいろいろなスピード競争が行なわれた。当時、谷田部のテストコースは夜間のみで昼はメーカーが使っている。我々雑誌屋は夜中の1時頃から夜明けまでが使える時間だった。
それでもサバンナのロータリースペシャルは250km/hオーバーを記録した。私が過去に経験した最高速はフェラーリ512BBに乗った時で260km/hに1.2km/h欠けただけだった。そのスピードで走るBBは誠にエレガントなもので何事もなかったようにその未知の世界に誘い出した。
当時私が最も気に入っていたクルマはディノ246。こいつは格別だった。単にスピードを出すだけならポルシェがすごい。特に911RSは特別だ。しかし、ディノ246の美しさはいうまでもなく、すべての点で別格であった。
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