1980年代後半~1990年代・バブル前後、潤沢な資金を投じて開発され、そして儚く消えた名車&迷車たちを振り返る。(本稿は「ベストカー」2013年6月26日号に掲載した記事の再録版となります)
文:片岡英明
■ターボ スーパーチャージャー…… 国産車の「進化」が目に見えてわかる
バブルにまっしぐらに突き進んだ1980年代は、厳しかった規制が緩くなった時期でもある。フェンダーミラーしか許されていなかったが、ついに海外と同じドアミラーが解禁になった。
また、スポイラーなどのエアロパーツや60偏平のロープロファイルタイヤの装着が認められるなど、クルマ好きにとってはうれしい改革が続いたのである。
もうひとつ、朗報が届いた。1982年に面倒だった輸入車の審査手続きが簡素化されている。これに続いて車検制度が改正されたのだ。その当時は新車から1回目の車検までの期間は2年だった。これがクルマの耐久信頼性が向上したことを理由に、初回3年に延ばされたのである。
しかも日本では排気量ごとに税額が決まっており、過給器などを使って高性能化しても税額は増えない。
だから高級車から軽自動車まで、ターボやスーパーチャージャーを搭載するようになり、ターボを冷却するインタークーラーも一気に普及した。
ターボと同じ時期に登場したのがV型6気筒エンジンだ。1983年、日産はセドリック/グロリアに日本で初めてV型6気筒エンジンを搭載し、発売した。
その後、レパードやフェアレディZなどに拡大採用し、ホンダもレジェンドにV6エンジンを積んだ。
ターボが高性能イメージを高めるのに役立ったように、V6エンジンは高級イメージを高めるのに威力を発揮した。
1990年代になるとミディアムクラスや上級コンパクトカーにもV6エンジンが積まれるようになる。バブルの力というのは凄いものだ。
高性能と高級を競うようになり、1990年代には小型車枠を超えた大柄なボディのクルマも市民権を得た。
ワイドボディが主役となり、昔は憧れだった3ナンバー車が街に氾濫したのである。
■バブルの申し子
年号が平成に変わった1989年の東京モーターショーは歴史に刻まれるショーだった。トヨタは世界に通用する高級セダンのセルシオを主役の座に据えている。
海外ではレクサスLS400を名乗るセルシオは源流対策と技術革新に力を入れ、走りがいいだけでなく燃費や快適性能も欧米の高級車を凌駕していた。
欧米の老舗メーカーを震撼させたのはレクサスだけではない。ホンダが威信をかけて開発し、送り出したNSXもバブル期が生んだ不世出のスポーツカーだ。
オールアルミ製の軽量ボディを身にまとい、V6のDOHC、VTECエンジンも芸術的な出来栄えだった。NSXもフェラーリやポルシェに衝撃を与えている。
■懐古ムードいっぱいトヨタレトロカー3連発
トヨタ自動車の記念すべき乗用車第1号は、1936年に発表されたトヨダAA型だ。創業60年の節目を迎えた1996年、これを記念してAA型の復刻版を100台限定で生産し、発売した。車名はトヨタクラシックである。ベースとなったのは、ピックアップトラックのハイラックスだ。開発と製作はトヨタテクノクラフトの熟練工が行なった。
ハイラックスのシャシーの上にAA型に似せたセダンボディを被せ、エンジンは2Lの1RZ-E型4気筒OHV。ミッションは4速ATだけの設定としている。
また、このトヨタクラシックで培った技術とノウハウを用いてTCピックアップも生み出した。ハイラックス2WDをベースに、トヨタクラシックの顔と個性的な荷台を組み合わせた。
もう1台、観音開きの初代クラウンをモチーフにしたオリジンを送り出している。これはトヨタの自動車生産累計1億台達成を記念して企画されたもので、1000台限定で発売された。ベースとなっているのは3Lの直列6気筒DOHCを積むプログレだ。
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