■マツダ サバンナRX-7(SA22C型)
若いみなさんはご存じないかもしれないが、初代RX-7(SA22C)がデビューした1978年は、スポーツカー好きにとっては“暗黒時代”といってもおかしくない悲惨な状況だった。
1973年に勃発した第一次石油ショックと、それに続く厳しい排ガス規制の嵐。これによってスポーツカーは、その命運を完全に断たれた格好で、『もう、スポーツカーとは永久にお別れか?』と、誰もがマジでそう思っていた。
そこに突然登場した初代RX-7の登場は、まさに暗黒時代の終りを告げる救世主。ここから90年代に頂点を迎えるスポーツカーブームが始まった。そう評価できるほど画期的なクルマだったのだ。
クルマそのものに関しては、初代RX-7に用いられた技術は平凡だ。
核となるロータリーエンジンが、排ガス規制をクリアしてパワーを取り戻したのは大きな魅力だが、シャシーは古いサバンナGT(RX-3)のものを流用。そこにリトラクタブルライトのスポーツカーボディを載せただけといっても間違いではない。
しかし、その走りのシャープさは当時のレベルとしては圧倒的にスポーティ。
アンダーステアと格闘しながら曲がるのが当り前だったこの時代、ロールらしいロールもなく、ほぼニュートラルステアといっていい姿勢でコーナリングするRX-7に、われわれジャーナリストは心底びっくりさせられた。
ただし、初期モデルのこのアンダーステア・ゼロの味付けはさすがにやり過ぎだったようで、最初期モデルのサーマルリアクター仕様から希薄燃焼、そして6PIへと、12Aロータリーが改良を受けるたびにシャシーセッティングもマイルド化。
大ヒットしてユーザーの裾野が広がったことに対応して、そのじゃじゃ馬っぷりが影を潜めてゆく。
ただ、これは決して悪いことではない。シャシーの改良にこだわり『スポーツカーは育てるもの』という開発体制がはじまったのは、まさにこの初代RX-7から。それが現代にも受け継がれ、マツダのよき伝統となったのだった。
■日産 スカイライン(R30型)
日産がハコスカGT-R以来10年ぶりにDOHC4バルブエンジンを復活させたのは、1981年デビューのR30スカイラインRS。
そしてそのFJ20E型エンジンにターボ追加して「史上最強のスカイライン」を名乗ったのが、1983年に登場するスカイラインRSターボ(190ps/23kgm)だった。
この、初期型スカイラインRSターボのじゃじゃ馬っぷりが凄かった。
当時の日産はターボに全力投球していた時代だったから、その頂点に立つエンジンとして気合い十分。
FJ20ET用のターボは、A/R=0.64という高速型のチューニングで、これはL20ターボなどとはまったく異なる仕様のものが装備されていた。
結果として、そのパワー特性は典型的な“ドッカンターボ”で、これがドえらくエキサイティングだったのだ。
圧縮比を8.0まで下げたうえに高速型ターボだから、低速域トルクはひょろひょろ。ところが、3500rpmあたりで本格的にブーストが高まってくると、その盛り上がりたるやまさに爆発的!
このパワー特性に当時のストラット/セミトレの足が組み合わされると、そのハンドリングの超シビアなこと。まさに、じゃじゃ馬という表現が相応しく、乗りこなすには相当なテクニックが要求されたものである。
一年後に、このFJ20ETにはインタークーラーが追加され、スペックは205ps/25kgmに強化されるのだが、ターボのA/R=0.49に変更したことでトルク特性がフラット化。
扱いやすくはなったが、ターボらしい強烈なパンチでは、インタークーラーなしの初期型FJ20ETのほうがはるかに強く記憶に残る結果となったのだった。
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