極東開発工業が特装車最大手の一角として成長するまでの歩み【日本の礎を築いた特装車アルバムを紐解く/後編】

「ジェットパック」の誕生

 いっぽう、1960年代中ごろまでバラセメントの輸送はほとんどがスクリュー車で行なわれていた。極東開発でもこうした車両を製造する傍ら、1957年ごろから空気圧送式のバルク車の基礎研究を行なっている。

 製品化に至らないまま他社の空気圧送車が使用され始めたことから、スウェーデンのコツカム・インターコンサル社との技術提携に踏み切り、1967年に球形タンク2基を連装する「ジェットパック」第1号車を宮崎のユーザーに納入。球形タンクを単球もしくは連装した車両は独特のスタイルで、市場でも注目を集めた。

 しかし球形タンクは架装重量が軽く充填効率・排出性も良いのだが、どうしても車高が高くなってしまい、プラントへの進入が困難だったり、走行中の安定性が悪いなどの問題が指摘され、1969年からは円筒形へと切り替えることになった。

 市場の要求に応えたジェットパックは急速に普及し、今では空気圧送式運搬車の代名詞となっている。

左、1967年2月に球形タンクでの市販1号車となったジェットパック。しかし球形では全高が高くなってしまうため、1969年からは円筒形のジェットパック(右)に切り替えられた
左、1967年2月に球形タンクでの市販1号車となったジェットパック。しかし球形では全高が高くなってしまうため、1969年からは円筒形のジェットパック(右)に切り替えられた

 タンク内が2〜3槽に分かれ、それぞれにマンホールとコックが付いたタイプは経済性やメンテナンス性に優れる反面、全量を排出するには槽の数だけ操作を行なう必要があった。

 後発メーカーからワンタッチ操作を謳うエアースライド式が登場し、極東開発でも1982年ごろにエアースライドタイプを市場に投入した。

 同年にはダンプタイプも登場し、セメントを対象にスタートしたジェットパックは、消石灰、化学材料、食品、コークス、飼料など様々な粉粒体の輸送に活用されるようになり、こちらも極東開発の主力商品の一つとなった。

いよいよ独自路線へ

 前編でご紹介したとおり、極東開発は川西モーターサービス(後の新明和工業特装車事業部)を母体とする特装車メーカーとして発足し、ダンプなどの主力商品は同社からの受託生産だった。

 製品・サービスともに両社でほとんど共通しており、新工場等についても協調しながら拡大を図ってきた。

 しかし、極東開発がトヨタやダイハツの特装車を引き受けることになったことや、川西モーターサービスが栃木県に広大な佐野工場を建設し、極東開発の横浜工場に大きな影響を与えると予想されたことなどから両社は関係の見直しを余儀なくされ、何度かの話し合いの結果、両社とも独自路線を歩むこととなる。

 もちろん、1971年のドルショック(ニクソンショック)、1973年の第1次オイルショックとスタグフレーションなど、日本経済の状況も「独立独歩」に向けた転機となった。

 当時の社名「極東開発機械工業株式会社」は、「極東」「開発機械」「工業」の各部分がそれぞれに意義を持っていたが、「やや長いのではないか?」との意見から、1971年に「極東開発工業株式会社」へ社名変更を行なうことになった。これも独立に向けた決意の表れであろう。

 このころ、いすゞ自動車を皮切りに大型4社が揃って10トンダンプを量産化する。架装メーカーとしては川西モーターサービス、東急車輌製造、金剛製作所、小平産業、新自工の5社が既に参入していたが、極東開発も量産ダンプを手掛けることを決定した。

 ダンプは大型化に伴いホイスト機構に幾多の変遷があった。当初使用していたガーウッドタイプで横転事故が集中し、川西はフランスのマレル社と技術提携しマレル型ホイストを採用、極東開発と金剛は共同開発によるハイル型ホイストに切り替えた。

 いっぽう、ボディの長尺化により新たなホイストメカニズムが求められ、1976年にWリンク式ホイストを開発、新製品として「Zダンプ(ZⅠ)」が誕生した。

10トンダンプ市場のボディ長尺化傾向に対応し、1976年にWリンク式ホイストを搭載して登場した「Zダンプ」
10トンダンプ市場のボディ長尺化傾向に対応し、1976年にWリンク式ホイストを搭載して登場した「Zダンプ」

 ところが、シャシーメーカーのモデルチェンジで架装側の重量軽減が求められ、改良型の「ZⅡ」ホイストを開発する。

 しかしダンプ時の「シャクリ現象」が運転者に不安感を与えるなど市場での評価は充分ではなく、根本的に機構を改良するためマレル型をアレンジした独自の新型リンク機構を開発。1983年に登場したこの「ごうりき型リンク」は、通称「ごうりきダンプ」として極東開発の看板商品となった。

 また、ダンプトレーラの普及によりボディの前端をテレスコピックシリンダーで押し上げるテレスコ式ダンプトレーラも開発している。

左、ガーウッド型ホイストメカニズム(5〜6トン用KR42型)。中、ハイル型ホイストメカニズム(10トン用VE211型)。右、ごうりきダンプホイストメカニズム
左、ガーウッド型ホイストメカニズム(5〜6トン用KR42型)。中、ハイル型ホイストメカニズム(10トン用VE211型)。右、ごうりきダンプホイストメカニズム

 今ではお馴染みの「パワーゲート」も、もともとは大型車向け「テールゲートリフタ」として生産していたものだ。極東開発は2〜3トン車向けの開発に取り組み、1964年に「パワーゲート」として発売した。

 当初は価格などがネックとなり期待通りの成果は得られなかったが、1969年ごろから中小企業や個人商店でも機械化が求められるようになり、需要が急拡大。極東開発の主力製品の一つに育った。

 塵芥車(ゴミ収集車)の「プレスパック」もそうした製品の一つで、1964年の東京オリンピックのころまでゴミの収集は大八車で行なわれることが多かった。

 極東開発は機械式塵芥車として川西モーターサービスの「スピードパック」を販売していたが、トヨタから輸出向け塵芥車の引き合いを受け、独自開発を始める。

 1970年に試作車が完成し、積み込みテストを行なったあと金沢市役所に売却され、翌年プレスパックとして商品化された。

1971年に登場したプレスパック1号車
1971年に登場したプレスパック1号車

 また、1960年代からトヨタ向けにかなりの数の車両運搬車を製造しているが、その後、この市場から撤退しており、再参入を目指して1台積み車両運搬車の「フラトップ」を1990年の東京トラックショー(現在の「ジャパントラックショー」の前身)に出展した。

 ボディが完全に地面に降りる車両運搬車は関係者から高く評価され、翌年正式に販売を開始している。

 他にもタンクローリ、ミキサ、高所作業車、フックロール(アーム式脱着ボディ車)、ムービングデッキ、スライドダンプ(建機運搬ダンプ)など、独自製品の開発を通じて、極東開発は国内最大手級の特装車メーカーに成長した。

ミキサーは、1981年から駆動方式をチェーンスプロケットからダイレクトドライブに変更。「ダイレクトミックス」の名称で販売開始
ミキサーは、1981年から駆動方式をチェーンスプロケットからダイレクトドライブに変更。「ダイレクトミックス」の名称で販売開始

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