かつては、マークII/チェイサー/クレスタの三兄弟でハイソカーブームを牽引し、1980年代後半には3台合わせて月販4万台以上を販売するという快進撃を続けた。
しかし時代は移り変わり、後継車のマークXへとバトンタッチしてから徐々に人気は下降。俳優の佐藤浩市さん演じる「部長」のCMが話題となるなどしたが、ついにその歴史に幕を下ろすこととなった。
2019年12月23日、愛知県のトヨタ元町工場にある走行センター(ふだんはスープラを日本仕様にするための最終調整をしている場所)にて、マークX生産終了イベントが開催されたので報告しよう。
文・写真/吉川賢一
初出/ベストカー2020年2月10日号
【画像ギャラリー】その名を歴史に刻んだ名車、歴代マークII&マークXの系譜をプレイバック!!
■笑いと笑顔で包まれた。マークXの最終車生産終了! 最後の1台がラインオフ
トヨタの元町工場は、1959年8月に製造を開始した伝統のある工場。トヨペットクラウンやコロナ、チェイサー、クレスタ、ソアラ、スープラ、RAV4、プログレ、マジェスタ、レクサス LFA、現在はクラウン、エスティマ、そしてマークII/マークXの生産工場として大切な役割を担っている。
マークIIは、初代「コロナマークII」(1968年登場)から始まり、5代目に「マークII」(1984年)となったあと、10代目で初代マークX(2004年)となり、そして、現行の2代目マークX(2009年)が最終モデルとなった。このように、51年という長きにわたり作り続けてきたこともあり、元町工場に長年勤務してきた従業員たちにとって、マークII/マークXは、非常に思い入れの深いモデルであるようなのだ。
イベントには二之夕裕美(にのゆひろよし)工場長を始め、2代目マークXの友原孝之CE(チーフエンジニア)、そのほかマークX関係者や元町工場従業員、総勢150名ほどが集まり、歴代マークシリーズの振り返りや思い出を話し、湿っぽさなど微塵もなく、笑顔で包まれたイベントとなった。
■マークII/マークXが残した記録とは?
マークIIは累計生産台数651万8000台、マークXになってからは累計36万3500台、マークシリーズ合計では51年間で688万1500台、歴代モデルを通して年平均13万5000万台/年という、途轍もなく売れたクルマ。そのうち、この元町工場で生産されたのはその約半分となる349万5248台。
マークIIの生産がピークだったのは、1989年〜1990年の6代目マークIIの時代。その後、1990年代中頃を過ぎると、セダン離れと、ミニバンやRVの人気に火がついたことで、マークIIの販売台数は減少。さらには、レクサスブランドが立ち上がったことで、トヨタのなかでの「トヨタ製セダン」へのプライオリティが徐々に下がっていった。そして2019年、ついにマークXは車種整理の対象となってしまったのだ。
■マークII/マークXの存在意義とは何だったのか?
マークIIの誕生は、高度経済成長期の1960年代、会社でバリバリ働き、昇進して経済的に余裕ができるに従い、クルマも、カローラ、コロナ、クラウンと、ちょっとずつ高級車に乗り替えていきたい、というお父さんの「見栄心」から生まれてきた一台。
クラウンが似合う役職にはまだ遠いけど、中間のコロナよりは上がいい、そうした「中間」の需要に応えるため、コロナに上級車の装備を付けて豪華版とし、コロナの「マークII」として、1968年に初代が登場したのが始まりだった。車名の「MARK」は英語の「Mark(目標、成功、名声)」を、IIは「コロナの第2世代」「コロナの上級車」を意味しているそう。
その後、1972年に2代目、1976年に3代目、1980年に4代目、といったように、4年に一度、必ずFMC(フルモデルチェンジ)を行い、その都度フレッシュなモデルを提供し続けてきた。
4年に一度FMCし続けられた、ここにはトヨタのタフさが現われている。最終モデルとなった、初代から数えること12代目の2代目マークXは、マイチェンでフェイスリフトやアップデートも行われつつも、歴代マークシリーズでは最長となる、10年間も同じモデルで売られ続けた。
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