基本部分を共通化しながら、異なる車種として売られるクルマを兄弟車とか姉妹車と呼ぶ。このようなクルマが生まれる理由は、ひとつのメーカーが複数の販売系列を用意するからだ。
その販売系列を維持しているのはトヨタだけで、そのほかのメーカーは実質的に販売系列体制はとっていない(目に見えない深部では存在)。
販売系列がなくなれば、必然的に兄弟車、姉妹車は消えてゆく。
現在も販売チャンネルを維持しているトヨタも、2020年5月から全店全車種扱いに切り替えることをすでに発表している。
販売系列の消滅に伴い消えていった兄弟車、姉妹車を振り返る。
文:渡辺陽一郎/写真:TOYOTA、NISSAN、HONDA、MAZDA、MITSUBISHI、SUBARU、DAIHATSU、ベストカー編集部
【画像ギャラリー】販売系列により誕生し消滅した兄弟車の最初と最後のモデル
トヨタマークII:チェイサー&クレスタ
販売系列が発足した当初は、新型車を売るために新しい系列を作ったが(例えばトヨペット店はコロナを売るために設けられた)、やがてそれだけでは足りなくなる。
「子供が免許を取ったから小さなクルマが欲しい」といったニーズも生まれ、トヨタはコンパクトカーのターセルと併せてトヨペット店扱いのコルサも用意した。
クーペが流行すると、セリカと基本部分を共通化するコロナクーペも加えている。
このような兄弟車の中でも、特に好調に売れたのがマークII/チェイサー/クレスタだ。マークIIは1968年にコロナの上級車種「コロナマークII」として生まれトヨペット店が扱った。
1977年にはトヨタオート店が売る兄弟車のチェイサーが用意され、1980年にはビスタ店にクレスタを追加した。
1984年のフルモデルチェンジでは、クレスタはセダンになったが、マークIIセダンとはボディが異なり、低いルーフによってフォーマルな雰囲気とスポーティ感覚を兼ね備えた。
この3兄弟車が絶好調に売れ、1985年はマークIIの登録台数が1カ月平均で2万9000台、チェイサーが8000台、クレスタが6000台という具合で3兄弟車を合計すると1カ月に4万3000台に達した。
今の国内販売ナンバーワンのN-BOXが1か月平均で約2万1000台だから、当時のマークII3兄弟車は物凄い売れ行きだった。
ところが1990年代に入ると、トヨタはイプサム、タウン/ライトエースノアなどのミニバンに力を入れ、初代RAV4などのSUVも発売されてセダンの売れ行きが下がり始める。
2000年頃にはマークIIの登録台数が1カ月平均で6000台程度になり、2001年にチェイサーとクレスタは終了した。
チェイサーとクレスタのユーザーが、マークIIに乗り替えて売れ行きを伸ばすことはなく、1カ月の売れ行きは3000台少々まで下がった。
2000年代に入ると、ファミリーユーザーはミニバンを選ぶようになり、マークIIはスポーティ感覚を強めたマークXに発展している。
それでもマークXの売れ行きは伸びない。クラウンと違ってハイブリッドや2Lターボを搭載せず、エコカー減税とも無縁だ。
近年ではV型6気筒エンジンを搭載しながら全幅は1800mm以内に収まり、価格が300万円以下のグレードがあることも個性になっていたが、アピールが弱く2019年に生産を終えた。兄弟車の終了というより、セダンの販売下降で終わりを告げた。
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