【今はなきチェイサー クレスタ セフィーロ…】トヨタも続々統合!! 惜しくも消えた兄弟車たちと事情

日産スカイライン:ローレル&セフィーロ

ローレルがスカイラインと基本コンポーネントを共用するようになったのは1972年にデビューした2代目からとなる

 スカイラインの初代モデルはプリンスの主力車種として1957年に発売され、ローレルはブルーバードとセドリックの間に位置する車種として1968年にデビューした。

 生い立ちは異なるが、1970年代に入ってローレルが2代目になると、スカイラインと基本部分を共通化している。

 スカイラインはGT-Rも用意するスポーツモデルで、ローレルはマークIIをライバルとする高級指向の車種に位置付けられた。

 ローレルのホイールベース(前輪と後輪の間隔)は、1972年発売の2代目から1989年の6代目まで一貫して2670mmだ。

 スカイラインは最盛期には4種類のホイールベースを用意したが、ローレルはそのどれよりも長い。車両の性格に応じてシャシーを使い分け、基本部分を完全に共通化した1984年登場のマークII/チェイサー/クレスタに比べると、車種ごとの個性を尊重していた。

ローレルは大人が楽しむFRスポーツセダンとしてスカイラインよりもラグジュアリー性が強調されていた。人気モデルが交互に登場したのはスカイラインと同じ

 そして1988年になると、好景気に乗ってセフィーロも発売された。このホイールベースはローレルと同じ2670mmで、基本部分も共通だ。

 ただしセフィーロはグレードのヒエラルキーを廃止して、3種類のエンジン(直列6気筒2LのSOHC/DOHC/DOHCターボ)と4輪操舵を含む3種類の足まわりを自由に組み合わせられた。

『くうねるあそぶ』のキャッチコピーが超有名な初代セフィーロ。個性的なフロントマスク、プロポーションのFRセダンとして人気となった

 ただし2代目のセフィーロは前輪駆動のLサイズセダンになり、まったく別のクルマに発展した。その後ティアナに切り替わったが、これも先ごろ生産を終えている。

 いっぽうのローレルはR33型スカイラインと併せてボディを拡大。1997年に8代目がデビューしたが、1999年に入ると日産は販売網の再編を開始した。

 日産店やモーター店をブルーステージ、プリンス店やサティオ店(旧サニー店)をレッドステージとしている。この流れの中でローレルは廃止された。セダンの人気低迷と、日産の販売再編が重なった。

1994年に登場した2代目セフィーロは、マキシマとの統合によりスカイラインの兄弟車ではなくFFサルーンとして生まれ変わったが、存在感を失ってしまった

ホンダアコード:ビガー&トルネオ

 アコードはホンダの基幹車種で、初代モデルは1977年に発売された。1972年に登場したシビックと同様、前輪駆動を採用している。

 そしてホンダのディーラーは当初1系列だったが、1978年にクーペの初代プレリュードを発売することになり、スポーティカーを扱う販売系列としてベルノ店を発足させた。

ベルノ店の車種ラインナップ増強のために1981年にアコードの兄弟車としてデビュー。人気モデルとなっていたアコードに対しビガーはマイナーな存在だった

 この時にベルノ店の品ぞろえを強化するために設定されたのが、アコードの兄弟車となるビガーであった。1985年にはアコードがフルモデルチェンジを行って3代目になり、ビガーも2代目に刷新されたが、その後の経過は違っている。

 1989年にアコードが4代目にフルモデルチェンジを行い、その兄弟車には新たにアスコットが設定された。取り扱いディーラーはアコードがクリオ店、アスコットはプリモ店だ。

1989年にデビューした3代目ビガーはアコードではなくアコードの上級モデルであるアコードインスパイアの兄弟車となり、このモデルを最後に消滅

 そしてアコードの上級車種として、直列5気筒エンジンを搭載するロングホイールベースのアコードインスパイアが加わり、ビガーはその兄弟車に位置付けられている。つまりビガーの位置付けが上級化されたわけだ。

 さらに1993年になるとアスコットはアコードを離れて別車種となり、その兄弟車にラファーガが位置付けられた。

 そのいっぽうでホンダは1994年にオデッセイ、1995年にCR-V、1996年にステップワゴンとミニバンやSUVを充実させた。

ビガーに代わりアコードの兄弟車となったのがアスコット。このころのホンダは車種が混在していて、迷走していた感が否めない

 繁雑な商品展開とセダンの人気低迷により、ビガーは3代目、アスコットは2代目、ラファーガは初代という具合に、いずれも1990年代に終了した。

 場当たり的で非常に分かりにくい。しかもアコードは1993年の5代目で3ナンバー車になり、売れ行きが落ちて1997の6代目では5ナンバー車に戻した。この時にベルノ&プリモ店扱いの兄弟車として、トルネオが登場した。

 しかし売れ行きは伸びず、トルネオも1代限りで終わった。

 そしてアコードは2002年の7代目でアキュラTSXの兄弟車になり、3ナンバーサイズのスポーティセダンになっている。まさに紆余曲折だ。

5ナンバーサイズに回帰して出直しを図った時にアコードの兄弟車としてトルネオを登場させたが、販売面で貢献はできず、1代限りで消滅

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