ガンユーに駆け寄ったラッセル。何故ピットに戻らなかったのか
ラッセルは大クラッシュしたガンユーの容体を気にしてコクピットを降りて現場へ向かっている。ラッセルはその現場で何をしようと思ったのか? 現場にはプロのマーシャル達が駆けつけていて、ラッセルのできることなど何もないのだ。
ここにラッセルの弱さを垣間見た気がした。
確かにガンユーの容体を気づかったといえば聞こえがよく、一般的にはその気遣いは美談に見えたかもしれない。しかしこれはラッセルの罪の意識にほかならない。事故の原因はさておき、彼のマシンがガンユーのマシンを飛ばしてしまった事実が、ラッセルに「しまった、やってしまった!」という意識をもたせたのだろう。その罪の意識がこの行動を起こさせてしまったに違いない。
ラッセルはこの意識のせいで、走れる可能性のあった母国レースを棒に振ってしまった。
こう言うと冷たく思えるかもしれないが、何もできない現場に駆け寄り、自分のやるべきレースを自ら放棄してしまうのは、F1レーサー失格である。もちろんこれは極論で言い過ぎだが、レースはチェッカーフラッグを受けるまでがレースなのだから……。ラッセルは自ら走れるレースをリタイアしてしまったのだ。
クラッシュ後、走れる状態であればタイヤを引きずりながらでもピットに戻り、メカニックが必死の作業でマシンを間に合わせることができたはず。ラッセルは再スタートして良いリザルトを得てこそファンもチームも納得するのだ。その後に大人のコメントでガンユーを心配するのが真のプロフェッショナルではないか……。
ラッセルへの評価はまだでき上がっていない。
W13が理想的に仕上がってきたとき、果たしてラッセルはハミルトンを下せるのか?
今回の英国グランプリで見られたラッセルのメンタルの甘さは、果たして今後にどう影響してくるだろうか。真にハミルトンを超えるにはこの甘さを捨て、現実的で理論的に揺るがないメンタリティーの強さが欠かせないはずだ。
それでもまだ経験の少ない若さゆえと優しく見つめれば、もちろんラッセルの未来は実に希望に満ちあふれているのは確かだが、生き馬の目を抜くF1界、わずかな弱さも突いて来られるのは当然のこと。果たしてラッセルはこの危うさを乗り越えて、いつハミルトンを本当の意味で超えるのか……。その成長が楽しみである。
【画像ギャラリー】リタイヤが6台と、序盤から終盤まで大波乱だったイギリスGP(5枚)画像ギャラリー津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
・ブログ「哲じいの車輪くらぶ」はこちら
・YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」はこちら
コメント
コメントの使い方