■FIAは規則に厳密になって機械的に判断しているわけではない
また、FIAの判断の一貫性についても、これまで問題とされてきたことだ。このシーズンはFIAのスチュワードやマネージメントに、F1経験の少ないメンバーが多く含まれている。経験が不足しているために判断が安定しないのは当然のことだ。だが、規則に厳密になって機械的に判断すると、人々は人間らしさがないとか、あまりに厳しいといった批判をする。
例えば、トラックリミットの規則も良い例だ。機械的に裁定すれば、多くのドライバーが違反になることが明らかだが、ドライバー達が上手にホワイトラインを活用しているのも事実だ。また今回の件でも、もし周冠宇と角田の立場が逆で、ペナルティが周冠宇に課されなかったら、角田のファンは周冠宇が押し出したと騒ぐだろう。
レースには同じ状況は存在しない。常に異なるのだから、判断の是非も瞬時の問題だ。レースが進行する限り、対策案を即座に講じなければならない。
そして、チームはペナルティのことを角田に伝えず、彼は1秒を取り返すことができなかった。最終結果は、ルクレールとの差が0.899秒で12位フィニッシュだ。角田が集中力を切らさず、走っていれば、ルクレールを抜いて12位になっていたはずだ。
■トップドライバーになるにはFIAの不条理も乗り越えなければならない
落ち込んだり、怒っている暇は、レースにはない。FIAの不条理も、刹那の判断で乗り越えなければならない。それがF1レーシングの真髄なのだ。
角田裕毅は今シーズン、まるで生まれ変わったかのように進化を遂げている。落ち着きとメリハリ、速さと確実性を見事に組み合わせ、走らないマシンを精一杯駆り、チェッカーまでマシンを持って行っている。
今回の出来事も、実質9位フィニッシュというこれまでの成績を上回る結果を残したことで、自信を持って走ることができるだろう。彼はまだまだ学ぶことがたくさんあるだろうが、進化し続ける角田裕毅の未来は輝いていると私は信じている。
【画像ギャラリー】マックスがポール・トゥ・ウィンを飾ったカナダGP。2位アロンソ、3位ハミルトンと続いた。(5枚)画像ギャラリー津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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