遡ってセナVSマンセルの時代。ウィリアムズホンダはF1を席巻し、またハイテク満載のマンセルFW14Bにセナは1992年シーズン全く太刀打ちできなかった。その後も紆余曲折あったが、ウィリアムズのマシンはF1界で常勝軍団であり、常にトップランナーであった。しかし、ウィリアムズがBMWと組んだあたりから雲行きが怪しくなっていった……。その後、名門ウィリアムズがなぜ下降線をたどっていったのか。元F1メカの津川哲夫氏に解説していただいた。
文/津川哲夫、写真/津川哲夫、Williams Racing Press
ウィリアムズは多くのチャンピオンを輩出してきた名門チーム
2022年全く新しいスタイルのF1グランプリが、いよいよ開幕間近となった。各チームとも必死の開発が進み、新車発表の予定が次々とスケジュールに書き込まれている。
新しいレギュレーションでは車両規則が大幅に変り、エアロ、サスペンション、タイヤなどが全く新しくなり、パワーユニットこそこれまでと大きな変更はないものの、今シーズンからのF1はこれまでのF1のイメージを覆すものとなる。
新規則は全域にわたっており、今シーズンは基本的には全チーム横一線からのスタートとなる。したがって勢力図の書き換えもあるかもしれない。とはいってもワークス・メルセデス、そして名目上撤退とはいってもPUもリソースもそのまま継続のホンダPUを搭載するレッドブル、さらに復活に賭けるフェラーリ等のポテンシャルが高いはずなのはいうまでもない。
しかし、これに挑む好調マクラーレンや体制の変更でチームの強化を狙うアルピーヌ、さらにはレッドブルとほとんどの部品を共有するアルファタウリ、そしてトップマネージメントを大幅にシャッフルしたアストン・マーチン、さらには新型フェラーリとほとんどの部品を共有するハス、独自の道を行くアルファロメオなどの出来も気になるところだ。
そして昨年チームの創始者たるフランク・ウィリアムズが逝ったウィリアムズ。もちろんチームは既にウィリアムズから離れているが、チームの名称は創始者の名がそのまま冠されている。
ウィリアムズは過去3年、メルセデスの秘蔵っ子ジョージ・ラッセルを育ててきたが、残念ながら一昨年まではチーム的にも機械的にもポテンシャルが不足し低迷を続けてきた。
ウィリアムズといえば、かつてはアラン・ジョーンズに始まり、ネルソン・ピケやケケ・ロズベルグ、ナイジェル・マンセルにプロスト、デイモン・ヒルにジャック・ヴィルヌーヴなど、多くのチャンピオンを輩出してきた名門で、カリスマ・デザイナー、エイドリアン・ニューウェイもこのチームでその名声を高めてきた。
優秀なデザイナーをチームに留めることが出来なかった失敗
しかし一世を風靡してきた名門ウィリアムズであったが、BMWとのコラボレーションに失敗してからその勢いは下降線を辿って行く。ウィリアムズの歴史を見てゆくと、その浮き沈みには常に人事がかかわっていることがわかる。
初期にはアラン・ジョーンズとカルロス・ロイテマンの確執を制御出来ず、後にはネルソン・ピケとナイジェル・マンセルの確執が険悪となり、どちらの場合もチャンピオンドライバーをチームに留めることが出来ずにきている。
これはエンジニアでも同じことで、一世を風靡し圧倒的な速さを誇示したFW14〜FW16を作り上げてきたカリスマ、エイドリアン・ニューウェイをチームに留めることが出来なかったことが、ウィリアムズ史の最大の失敗だったかもしれない。後にこの失敗をフランク自身が認めているほどだ。ニューウェイがチームをやめた原因のひとつは、1996年チャンピオンになったデイモン・ヒル放出人事といわれている。
そしてチーム運営的な部分では、BMWとのコラボの失敗が大きい。コラボ初期には何とか成績を上げてきたが、進歩は少なく勢いは後退。特にパトリック・ヘッドが退き、若きサム・マイケルをTDに就任させたあたりから、チーム内の不協和音が始まった。そして結局BMWとは袂を別つことになる。実際チーム運営を含めて、チームのイニシアチブを取ろうと画策したBMWと断固引かないウィリアムスが相容れなかった結果だ。