本田宗一郎氏が込めた魂を思い出してくれ!
日本車の歴史を見ると、誕生からしばらくは海外のモノマネやOEM生産。それが高度成長とともに、オリジナリティを追求し始める。
特に顕著だったのがクラウン、セドリックなど高級車。
なにせクラウンの初代モデルは観音開きドアだ。フロントマスクだって、どこか仏壇風。当時アメ車の影響を強く受けたと思うが、それでも和風テイストを織り込んでいる。もちろんデザインはトヨタ社内の日本人。
そして当時もう一人、和風テイストにこだわった日本人開発者がいた。ホンダの創業者本田宗一郎氏だ。
1957年当時、本田氏は自社の車体デザインに生かすために、休暇をとっては奈良や京都でお寺回りをしていた。
それが生かされたのが2輪のドリームC70。
当時、神社仏閣スタイルと呼ばれた、ユニークな角型の車体デザインは本田氏が先頭に立って、自ら粘土を削ったもの。
「ドリームC70のタンク側面のエッジは、仏像の眉から鼻にかけての線を頭に描きながらデザインした」と、本田氏は言っている。
アップルのスティーブ・ジョブス同様に、製品のデザインにはなみなみならぬこだわりを持っていたのだろう。
その和風テイストのデザインは後に続くドリームシリーズにも生かされた。
「和風テイスト」の車よ、カムバック!
国産車はその後、高度成長時代とともに進化。その間さまざまな和テイストを持ったクルマが登場した。
先に記したクラウン、グロリア、そして三菱のデボネアといった高級車は、日本ならではの豪華絢爛さをうまく表わしてきたと思うし、小さいけれどもスバルのR-2も第2次大戦中の紫電改や隼のイメージが残っているんじゃないだろうか。
スポーツカーでは1967年に登場したコスモスポーツも同じ匂いを感じるデザインだ。ヨーロッパやアメリカのスポーツモデルには見られない独特のデザインといえる。
時が経ち、いまや自動車メーカーはグローバル市場がメイン。それに合わせるように世界中で受けるデザインが多くなってしまったことはとても残念。
そんななかにあって2006年に発表された光岡自動車のオロチは、まさに和テイストを体現したクルマだった。世間的にはキワモノ扱いされ気味だったが、日本神話をモチーフにした狙いはすばらしいんじゃないだろうか。
グローバル化がさらに進むこれから、日本の自動車メーカーなら、ぜひ日本車らしいクルマを開発してほしいとベストカーは願います。
よろしくっス!
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