日本車のデザインがどれもこれも似たようになっている気がする。そう感じている車好きは多いのではないだろうか。
工業デザイン技術も成型手法も進化しているのに、なぜ「似たような車」が溢れるのか。かつて日本車はもっとバラエティに富んでいたではないか。
「車の和テイストよ再び!」。そんな温故知新な企画です。
文:ベストカー編集部/写真:Shutterstock.com、各社公式写真
初出:『ベストカー』 2017年5月10日号
日本のための日本デザインを!
富士山、桜、お祭り、神社仏閣……、日本にはほんとすばらしい文化がある。日本人なら古来より受け継がれたものに感動を覚えるはず。
ものが溢れるいま、そんなことがとても大切にされる時代になっている。
しかし、現代のクルマ界を見るとどうだ。
グローバル市場でクルマを売るため、世界で売れるデザインに日本の車はなっているじゃないか。商売的にはそれはそれでいいのかもしれない。
かつて、とあるメーカーの担当者が言いました。
「カリフォルニアのデザインスタジオでデザインしました」
ハッ? そんなこと自慢できるのか? 違うでしょう、と本誌ベストカーは思うわけです。もちろんクルマを売るためには、各国の好みに合わせたデザインにすることはわかる。
でも、日本古来のデザインを大切にしたクルマが日本にはあってもいいんじゃないでしょうか。
ということで本企画のテーマはクルマ界における和のデザインです。
【以下、本企画は懐かしい写真とともにお楽しみください】






本田宗一郎氏が込めた魂を思い出してくれ!
日本車の歴史を見ると、誕生からしばらくは海外のモノマネやOEM生産。それが高度成長とともに、オリジナリティを追求し始める。
特に顕著だったのがクラウン、セドリックなど高級車。
なにせクラウンの初代モデルは観音開きドアだ。フロントマスクだって、どこか仏壇風。当時アメ車の影響を強く受けたと思うが、それでも和風テイストを織り込んでいる。もちろんデザインはトヨタ社内の日本人。
そして当時もう一人、和風テイストにこだわった日本人開発者がいた。ホンダの創業者本田宗一郎氏だ。
1957年当時、本田氏は自社の車体デザインに生かすために、休暇をとっては奈良や京都でお寺回りをしていた。
それが生かされたのが2輪のドリームC70。
当時、神社仏閣スタイルと呼ばれた、ユニークな角型の車体デザインは本田氏が先頭に立って、自ら粘土を削ったもの。
「ドリームC70のタンク側面のエッジは、仏像の眉から鼻にかけての線を頭に描きながらデザインした」と、本田氏は言っている。
アップルのスティーブ・ジョブス同様に、製品のデザインにはなみなみならぬこだわりを持っていたのだろう。
その和風テイストのデザインは後に続くドリームシリーズにも生かされた。








「和風テイスト」の車よ、カムバック!
国産車はその後、高度成長時代とともに進化。その間さまざまな和テイストを持ったクルマが登場した。
先に記したクラウン、グロリア、そして三菱のデボネアといった高級車は、日本ならではの豪華絢爛さをうまく表わしてきたと思うし、小さいけれどもスバルのR-2も第2次大戦中の紫電改や隼のイメージが残っているんじゃないだろうか。
スポーツカーでは1967年に登場したコスモスポーツも同じ匂いを感じるデザインだ。ヨーロッパやアメリカのスポーツモデルには見られない独特のデザインといえる。
時が経ち、いまや自動車メーカーはグローバル市場がメイン。それに合わせるように世界中で受けるデザインが多くなってしまったことはとても残念。
そんななかにあって2006年に発表された光岡自動車のオロチは、まさに和テイストを体現したクルマだった。世間的にはキワモノ扱いされ気味だったが、日本神話をモチーフにした狙いはすばらしいんじゃないだろうか。
グローバル化がさらに進むこれから、日本の自動車メーカーなら、ぜひ日本車らしいクルマを開発してほしいとベストカーは願います。
よろしくっス!






