2018年3月2日、一枚のFAXが編集部に届きました。
「役員人事に関する記者会見について」そう題されたニュースリリースは、昨年発覚した完成検査問題等を受けて、スバルの代表取締役社長、吉永泰之社長が退任することを示していました。
本稿では社長退任(正式には今年6月の株主総会後)会見のもようと、質疑応答の一部をお届けします。
文:ベストカーWeb編集部
■グローバルの生産台数を1.5倍以上に押し上げた
今後、スバルの長い歴史を振り返るとき、吉永泰之社長の名前は「中興の祖」と記録されることは想像に難くない。
なにしろ2011年6月の就任から7年間で、
◎軽自動車の生産終了(2012年2月)
◎トヨタとの共同開発車BZR/86ラインオフ(2012年3月)
◎スバル初のハイブリッド車「XVハイブリッド」発売(2013年3月)
◎本社を新宿から渋谷区恵比寿へ移転(2014年8月)
◎次世代プラットフォーム「スバル・グローバル・プラットフォーム」公開(2016年3月)
◎アメリカSIAでカムリ受託生産を終了しインプレッサを生産へ(トヨタとの提携内容を「生産」から「商品」・「技術」へ)(2016年5〜11月)
◎年間世界生産台数100万台突破(2010年は約65万1000台、2016年は102万5000台に)(2016年12月)
◎社名変更(「富士重工」→「スバル」へ)(2017年4月)
上記のことを成し遂げている(吉永氏の社長就任前に進んでいたプロジェクトが多いが、吉永氏は戦略本部および経営企画部出身のため、自身が手がけたプロジェクトがほとんど)。
なかでも世界生産台数を約1.5倍以上に押し上げた功績は大きく、スバルの年間売上高は(2017年3月期時点で)5期連続過去最高を記録し続けている。
その吉永社長を含む経営トップ4名が、2018年6月の株主総会をもっていっせいに退任する。新社長に就任するのは、現在専務執行役員で海外第一営業本部長兼スバル・オブ・アメリカ会長の中村知美氏。
1959年5月生まれ、慶應義塾大学卒業後、1982年に富士重工入社、国内営業本部から経営企画部をへてグローバルマーケティング本部、海外営業本部で活躍。趣味は(「これは、広報からあまり言わないでくれと言われてるんですが」と注釈を入れつつ)「競馬」とのこと。
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