緻密な数字の分析から初代アルト・ジムニーが誕生した
同社が大躍進するきっかけとなったのはアルト(1979年初代発売)の大ヒットであり、これは鈴木氏にとって最大の功績と言われるが、もうひとつ、スズキの歴史にとって欠かすことのできないクルマがある。それは軽の四輪駆動車であるジムニーだ。
ジムニーの販売開始は1970年だが、このクルマをスズキが手がけるきっかけになったのは、当時、東京に勤務していた鈴木氏が、4輪駆動の軽自動車というユニークな設計思想を持ちながらも量産に至らず、自動車分野からの撤退を決断したホープ自動車(当時)から権利を買い取ったことに起因している。
鈴木氏は当時、2輪駆動と4輪駆動にどれほど違いがあるのかよく理解しておらず、周囲の人に「自動車メーカーの人なのに分からないのですか?」と笑われたそうだが、強力な登坂能力を目のあたりにして、大きなビジネスチャンスがあると判断し、買い取りを決めた。
当時、鈴木氏は社長ではなく、しかも他社が開発したクルマを買ってくるというやり方に、社内では相当な反発があったそうだが、こうしたところにも鈴木氏の商売人としての合理性がうかがえる。
必要であると思えば、なんの躊躇もなく外部から技術を買ってくるという点において、鈴木氏はマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏とよく似ている。
ゲイツ氏は、創業間もない頃、IBMとの大型契約に際して、あっさりと自社開発を諦め、外部からソフトウェアを購入しているが、その時に買ったソフトウェアこそが、マイクロソフトの基盤を確立し、ある意味で現在のWindowsのベースにもなったMS-DOMという基本ソフトである。
鈴木氏の圧倒的な立場を確実にしたアルトの大ヒットはもちろんのこと、インド進出の決断など、鈴木氏の業績は「カリスマ」の一言で片付けられることが多い。だが、こうした意思決定ができるのは緻密な数字の分析があってこそである。
アルトの大ヒットは、高度成長期のモータリゼーションが一段落し、本当の意味で、誰もがクルマに乗る1980年代を見据えた商品であり、背後には徹底的な市場調査の結果があった。インド市場についても、人口やGDP、所得水準と購買力の関係などマクロ経済の知識がなければ決断はできない。
カリスマ経営者からみえる意外な短所とは?
最後の大仕事として鈴木氏は2019年にトヨタとの資本提携を決めたが、これは、自動車産業のコモディティ化という歴史的な流れを考えた時、規模のメリットを追求できなければ淘汰されるという冷徹な予想から来ている。
経営者としての鈴木氏は、非の打ち所がなく、100点満点という感想しか出てこないのだが、あえて鈴木氏の弱点を探し出すのなら、それは、すべてをひっくり返すような革新性を持っていなかったことだろう(これは徹頭徹尾、「数字の経営者」であるという彼の最大の長所と表裏一体でもある)。
鈴木氏は、軽自動車メーカーのトップという立場を超え、増税に強く反対するなど、軽自動車(「庶民が乗れる自動車」)というカテゴリーの維持に強いこだわりを持っていた。
軽自動車というのは、日本独特の規格であり、戦後の貧しい時代、庶民でも自動車に乗れるよう、政府が規格をワンランク落としたカテゴリーを作ったことに起因している。
当初、軽自動車は安全基準も低く設定されていたが、スズキをはじめとするメーカーの驚異的な努力や、規格の改定もあり、現在では普通車と遜色のないカテゴリーとなっている。
本来であれば、国民所得の向上とともに普通車に統合されるべきものだったが、90年代以降、予想以上に日本経済の貧困化が進み、逆に軽自動車のシェアが拡大。軽が存続しないと多くの国民がクルマを買えない状況に陥っている。
日本経済の貧困化という想定外の自体に逆に軽の意義が高まっているわけだが、それも時間の問題になろうとしている。猛烈なペースで進むEV(電気自動車)化によって軽自動車の魅力が一気に奪われようとしているからである。
部品点数が少ないEVは、台数の普及に伴って劇的なコスト低下が予想されており、各メーカーにとっては自動車のあり方そのものが問われる状況となっている。
鈴木氏が、電動化時代における軽自動車の位置付けについて明確なビジョンを示した上での退任であれば理想的だったが、それは鈴木氏に多くを望み過ぎだろうか。
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