2021年2月24日、スズキは鈴木修代表取締役会長の退任を発表した。鈴木修氏の会長退任は、同日行われた取締役会において内定したもので、2021年6月開催の第155回定時株主総会において採択される予定となっている。
ついにその時が来たのだ。
鈴木修氏は1978年にスズキ社長に就任。同社のインド進出を主導するなど、40年余りにわたり経営の指揮を執ってきた。
2000年に会長兼CEOに就任し、一時は社長職も兼任したものの、2015年には社長職を、2016年にはCEOを後任の鈴木俊宏氏に譲っている。会長退任後は、同時に退任する原山保人副会長とともに、相談役となる予定だ。
そこで、鈴木修氏がこれまで残してきた数々の名語録のなかから、モータージャーナリストの片岡英明氏が抜粋して、名語録の背景とともに解説する。
文/片岡英明
写真/ベストカー編集部 スズキ トビラ写真(REUTERS Issei Kato – stock.adobe.com)
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中小企業の親父が2021年6月に勇退
スズキのカリスマ的な経営者として知られ、生涯現役を貫くと公言していた鈴木修会長が、創立100周年の節目をとらえ、2021年6月の株主総会をもって会長職を退き、粋に去って行く。
社長に就任したのは、鈴木自動車工業を名乗っていた時代の1978年(昭和53年)だ。その頃は軽自動車メーカーという印象が強かった。だが、1980年代になると登録車の分野でもカルタスやエスクードなどのヒット作を出すようになる。
また、世界最大の自動車メーカーだったゼネラル・モーターズ(GM)とも提携し、燃費のいいスモールカーを積極的に提供した。未開だったインドにも進出し、1990年代にはハンガリーにも生産拠点を築いている。
鈴木修さんの経営手腕はすごかった。常に現場主義を貫き、ひらめきと行動力において誰にも負けなかったのである。だからスズキは、あれよあれよと思う間に「世界のスズキ」へと成長していったのだ。
今のスズキがあるのは、八面六臂の活躍を演じた鈴木修さんがいたからだ、と言って過言ではない。遺した功績は驚くほど多い。人々から「修語録」と呼ばれた名言も一冊の本になるほどたくさんある。
そこで鈴木修さんらしい名言をピックアップしてみよう。「修語録」から、近い将来の自動車メーカーの生き方や生き残り戦術のヒントが見えてくるはずだ。
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