最近当サイトでマイナーチェンジに関する記事を何本かアップしているように、クルマのモデルサイクルが長期化している昨今はマイナーチェンジの重要性が高まっている。
マイナーチェンジは改良を行うだけにクルマがよくなる、進化することがほとんどだが、過去にはマイナーチェンジで迷走感を覚えるようになったクルマというのもあった。
当記事ではそんなマイチェンで迷走したクルマたちを振り返る。
文:永田恵一/写真:NISSAN、HONDA、SUBARU
【画像ギャラリー】今じゃ考えられないフェアレディZ(Z31)のラインナップ
日産フェアレディZ(3代目)
デビュー:1983年9月
マイナーチェンジ:1985年10月、1986年10月など
1983年10月登場の3代目フェアレディZは3L、V6ターボの搭載などにより動力性能を向上させ、クルマ自体は当時でも古典的ながらフェアレディZらしいといえばフェアレディZらしい個性を持ったスポーツカーだった。
1986年10月のビッグマイナーチェンジでは3L、V6系エンジンを搭載する3ナンバー車のボディをブリスターフェンダー化するなど迫力あるものとしたほか、NAの3L、V6DOHCを搭載する300ZRを追加。
300ZRはフェアレディZらしい古典的なところを強調した点が魅力となりマニアックなファンから人気を集め、このビッグマイナーチェンジでは成功した。
しかし前年の10月に行われたマイナーチェンジではV6エンジンでスタートし、2L、V6ターボもあった3代目フェアレディZに2L、直6DOHCターボが追加された。
この点については「バリエーションが増えよかった」とも解釈できるが、「搭載できるからといって搭載するのも安易、ポリシーがない」と見ることもでき、今になるとクルマ以前に会社が迷走していた当時の日産を象徴していたようにも感じられる。
日産ローレル(7代目)
デビュー:1993年1月
マイナーチェンジ:1994年1月など
先代の6代目ローレルは魅力的なスタイルとインテリアを武器に好調に売れたモデルだった。
しかし1993年1月登場の7代目ローレルはもともと6代目ローレルに近い広さを重視しないコンセプトでデザインされていたにも関わらず、登場の1年ほど前にデザインコンセプトが「広さを重視する」という180度近く違うものに変更されたという説がある。
このことはセダンとしては正しいことながら、あまりに無理のあるコンセプトの変更だったため不格好なスタイルで登場し、販売も激減してしまった。
慌てた日産は翌1994年1月のマイナーチェンジで大人しいセダンとして登場した7代目ローレルに2.5Lターボを追加しスポーツ性も加える、スタイルも2回変更され、確かにスタイルはいい方向に向かった。
しかし登場時の商品企画やコンセプトがすでに破綻していたこともありマイナーチェンジも焼け石に水、時遅しという結果に終わった。
なおローレルは次の8代目モデルでクルマ自体は全体的によくなったものの、7代目のつまずきは大きく最後まで浮上できず、ティアナを後継車に姿を消した。
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