これまでに数々の名車を生み出してきたニッポンのクルマ界。なかには世界に影響を与えた、日本人の誇りとも言える車種もある。
本企画では、語り継ぎたい名車と、そのクルマに宿るスピリッツを紹介しよう。
今回は、世界で初めてロータリーエンジンを採用した初代コスモスポーツについてだ。
マツダコスモスポーツ(1967~1972年)
文:鈴木直也/イラスト:稲垣謙治
ベストカープラス2016年10月17日号
幾多の技術的苦難を乗り越えて誕生
初代コスモスポーツ(L10A型)が発売されたのは1967年5月のこと。この時点で世界初の2ローターRE搭載車だった。以来、ロータリーエンジンはマツダのシンボルともいえる存在となる。
初期にはファミリアやカペラ、そしてサバンナRX-3とハコスカGT-Rの死闘、さらにSA22から始まる歴代RX-7……。
RX-8の生産が終了して、今やマツダはロータリーエンジン搭載車を市販していないにもかかわらず、いまだに「マツダといえばロータリー」という人は少なくない。
なぜそんなにロータリーのことが熱く語られるのか、ボクはそこに“物語”があるからだと思う。
ご存じのとおり、ロータリーエンジンは西独(当時)NSU社のフェリックス・バンケル技師の考案になるもの。マツダはNSUから特許ライセンスを購入して開発に取り組んでいた。
しかし、ロータリーエンジンの実用化には幾多のトラブルが立ちはだかり、リーダーの山本健一さんを中心とした47人のチームが、必死の思いで技術的な困難に立ち向かうことになる。
ロータリー開発にまつわるエピソードは、NHKの『プロジェクトX』などでも取り上げられたくらい有名だが、日本人はこういう「苦難の果てに成功を掴みとった」という物語が好き。
コスモスポーツはとにかくREを積んだクルマを市販するということが最大の目的で、それ以外の面では(例えばモータースポーツで大活躍したとか世界的な賞を受賞したとか)華々しいヒストリーを持つクルマではない。
しかし、広島の片田舎から“坂の上の雲”を追いかけ、ついに独自の技術で世界に誇れるスポーツカーを作り上げたヒストリーはホントに泣ける。
初代コスモはこういう“物語”に彩られたクルマだからこそ、いまだにマツダファンの間で人気があるのだ。
こういう歴史と物語は、マツダにとってお金に換えられない貴重な財産だ。おそらく金銭的な面だけ見れば、ロータリーエンジンは最終的に赤字事業だったかもしれないが、世界中にマツダファンを育て、社内の技術者もおおいに鍛えられた。
小早川さん、立花さん、貴島さん、山本さんなど、マツダを代表する技術者の多くがロータリーエンジンに関わっているのは決して偶然ではない。むしろ、こんなに貢献度の高いプロジェクトもなかったと言ったほうがいい。
初代コスモはそんな物語の最初の一歩を記したことで、不滅の価値があるクルマとなったのだ。
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