これまでに数々の名車を生み出してきたニッポンのクルマ界。そのなかには世界に大きな影響を与えた車種もある。
今回紹介するのは、輸入車が独占していた高級車市場の扉をこじあけた初代セルシオについて。
当時、高級車市場に君臨していたベンツなどを大いに慌てさせた完成度を誇ったのが、この初代セルシオだったといえる。
トヨタ 初代セルシオ(1989~1994年)
文:鈴木直也/イラスト:稲垣謙治
ベストカープラス2016年10月17日号
二律背反のYETと源流主義を昇華
多かれ少なかれ、高級ブランドというのは“幻想”を売る商売といえる。
もちろん、商品そのもののクォリティが高いというのは当然なんだけど、歴史、デザイン、ストーリー、そして希少性など、そのブランド価値を正当化する幻想が必須。そうでなければ、目の肥えたお金持ちのハートを掴むことはできない。
ところが、初代セルシオですごかったのは、そういう“幻想”を一顧だにしなかったことだ。ま、考えてみりゃそれも当然だったのかもしれない。
セルシオ以前の高級車市場はベンツやジャガーなど伝統的なブランドを中心としたある種の閉鎖市場。安定しているが封建社会のように変化に乏しい世界だった。今から考えると多分に貴族趣味的な階級社会だったといってもいい。
いっぽう、トヨタには高級車の歴史も伝統もない。
初代セルシオ以前にトヨタが北米で売っていた最高級車はマークII (北米名クレシーダ)で、コストパフォーマンスなどは高く評価されたが、そこに“高級”イメージを抱くユーザーなど誰もいなかった時代。
ではどうすればいいか? トヨタの答えは、「高品質をもって高級たらしめる」というクルマ作り。まさに、“幻想”とは対極にある地道な品質改善の取り組みにチャンスを見い出すしかなかった。
セルシオの開発コンセプトで有名なのは、すべてを原点から見つめ直す“源流主義”と、二律背反する要求(高性能と低燃費、優れた操縦性と乗り心地など)を妥協なく達成する“YETの思想”というもの。特にユニークなところは何もない。
しかし、トヨタはこの地道な改善をかつてないスケールで実施した。例えば、エンジンや駆動系の部品精度の向上を目指すにあたっても「10%や20%じゃお客さんにはわからない。ひと桁くらい上げろ!」というレベル。
走りに関しても北海道の士別に周回10kmという国内最大級のテストコースを作ったのは直接的にはセルシオ開発のためだ。
こういう画期的な高精度でクルマを作ろうとすると、生産部門の協力なしにはそれは画に描いた餅だが、この高いハードルが生産技術部門のスタッフのやる気に火をつける。
こういう全社一丸となった高品質なクルマ作りが結実したのが、初代セルシオ(レクサスLS)の成功だ。
まったくのゼロからスタートしたレクサスLSの北米販売台数は、いきなり年間2万台を突破。それは当時のメルセデスSクラスの1.5倍以上だった。
初代セルシオの大成功によって、高級車市場の風景は一変する。それまでは、閉鎖的な市場でかぎられたお得意様相手の商売をやっていればよかったものが、セルシオ以降マーケットは大きく拡大するとともにグローバル化。
ブランド力はもちろんだが、性能、信頼性、コストパフォーマンスなど、ふつうのクルマ同様の厳しい競争が始まる。
今思うと初代セルシオは鎖国状態だった高級車市場に“開国”を迫った黒船のような存在。高級車の歴史を語るうえで大きなターニングポイントになったクルマだと思う。
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