「これはきっと人の役に立つ」「喜んでもらえる」と信じて開発を重ね、その狙い通り大ヒットするクルマがあれば、どこでボタンを掛け間違えしまったのか、誰にも理解されずに消えていってしまうクルマもある。
どんな世界でも「たられば」は言っても仕方のないことだが、しかしあとから振り返ってみると、そんな両車の間にある「差」は、当時の評価ほど、思っていたほど大きくはなかったのかもしれない、なんてこともしばしばあったりする。
ここではアイデアや技術、コンセプトは目覚ましかったものの時代にマッチせず消え、後年になって「あれこそが時代を先取りした、変革の嚆矢だった」と再評価される、そんな「生まれるのが早すぎた」不遇の名車たちを自動車評論家4氏に挙げてもらう。
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※本稿は2020年7月のものです
文/国沢光宏、鈴木直也、清水草一、片岡英明、写真/ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2020年8月26日号
■『今では当たり前になったミニバンの先駆けが初代プレーリーだったのだ』(国沢光宏)
筆頭は瞬時も迷うことなく初代プレーリーでしょう! 今回の企画、骨子からすれば「今なら売れる」とか「今は人気ジャンル」みたいなことだと思う。
このクルマのコンセプトそのまんまなのがJPNタクシーだ。初代プレーリーをJPNタクシーの日産バージョンにしたら全く違和感なし! ただ当時、乗用車のスライドドアって皆さん理解できなかった。
初代プレーリーが出た1982年、私はすでにベストカー編集部員。徳大寺師匠のカバン持ちとして試乗会に行き、帰りの車内で
「日産は面白いクルマを作るよな。でもお客さんがついてこないと思う。トヨタみたいに少し先を見ればいいのに明後日のクルマを作っちゃう」。
この読み、今でも鮮明に思い出します。ちなみに開発主査はスカイラインの伊藤修令さん。今や当たり前になったセンターピラーレスのスライドドアを40年前に考えたのだから凄い! ただ2代目以降は凡作でした。
日産のパイクカーも、今の時代なら大いに盛り上がったと思う。なかでもインパクト大きかったのが1987年に発表されたBe-1だ! なんたってBe-1見てVWはNEWビートルを思いつき、BMWもMINIの開発に着手した!
日産の“粘りの弱さ”はここでも存分に発揮され、素晴らしいコンセプトなのに販売伸びないからとやめちゃう。ワケワカラン感じのクルマを乱発したからだと思う。そして割高だった。
パイクカーの最後はラシーンなのだけれど、個人的にはPAOもフィガロもエスカルゴも素晴らしいと評価している。
ただいずれも煮詰め不足だったし、安易すぎたと考えます。MINIのようにホンキで大量に売ろうと狙ったら、きっと面白いシリーズになったんじゃなかろうか。
今からでも遅くない。e-POWERを使うとエンジンの搭載場所だって自由度を増す。後輪駆動すら簡単に作れる。この路線の復活を強く望みます。
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