なぜ初代クラウンエステートは人気車になったのか?
クラウンエステートの最初のモデルは、クラウンでは通算11代目にあたるS170系をベースにしている。発売は前述の1999年で、当初はロイヤルサルーンとアスリートの2グレードが用意された。ただし、ロイヤルサルーンは2001年のマイナーチェンジで廃止されている。
ロイヤルサルーンはどちらかと言えば年齢の高いユーザー向けに作られていて、各部の作りに“ロイヤル感”があった。そしてよりスポーティに活用したい人のために開発されたのがアスリート。役員の移動用など、社用車として使われることが多かったセダンに対し、個人ユーザーがメインになることが想定されたエステートではアスリート系モデルが充実していた。
ロイヤルサルーンとアスリートの主な違いは外観と足回りであり、アスリートの顔つきはロイヤルサルーンよりもやや厳つく、足回りも硬めに仕上げられていた。こうした事情もあってクラウンエステートではアスリートがメインになり、それがロイヤルサルーンの廃止につながった。
クラウンエステートの魅力は、他の国産モデルにはなかった高級車のワゴンモデルだったことだ。ベースとなっているのが日本を代表する高級車のクラウンであり、車体やエンジンなどのクオリティは一級品。オマケに荷物積載量などの機能性に優れたワゴンとくれば、これはもう魅力的なのは間違いない。
本来がサイズに余裕のある高級セダンだけあって室内や荷室スペースを十分に確保することができ、発売当時で最も出力の低い2.5リッター自然吸気エンジンでも200psのパワーを発揮し、重めの車体も軽々と加速させた。さらに2リッター直6ターボエンジンは280psを叩き出すなど、動力性能は申しぶんなかった。
難点といえば他の国産ステーションワゴンより車体価格が高いことだったが、これはクラウンの派生モデルであることを考えると仕方なく、価格に見合う内容のクルマではあった。
こうした理由により、クラウンエステートは爆発的な売り上げこそ記録しなかったものの、根強い人気を獲得し、本家クラウンが12代目にモデルチェンジされた2003年以降も独自路線でマイナーチェンジを続けた。
クラウンエステートの生産終了とその事情
1999年の登場以来、継続販売が行われていたクラウンエステートは、2007年5月にその生産が終了している。前作のクラウンステーションワゴンがリリースされた1987年から数えて20年、初代クラウンでもステーションワゴンが用意されていたことを考えると、実に50年近くの歴史を重ねたクラウンのワゴンモデルがラインナップから消滅した。
一時期は隆盛を誇ったステーションワゴンだが、この時期になるとその地位はミニバンやSUVに取って変わられていた。つまりトヨタに限らず他メーカーでもステーションワゴン離れは始まっていて、これは時代の流れとも言えた。
かくして息の長い人気を得ていたクラウンエステート(ステーションワゴン)は、ヘリテージモデルの仲間入りをすることになった。現在でも中古車で入手は可能であり、程度の良い個体は150万円以上で取り引きされている。
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