【日独仏伊】輸入車の味、日本車の味は絶滅したのか? まだ生き残っているのか?


フランス人の現実主義がフランス車の味にも如実に現われている

クルマづくりの好敵手としてともに進化の手を緩めない日本車とドイツ車に対して、フランス車は商圏が限られていることもあり時流の鳥瞰に消極的だ。

電動化やADASといった近年の先進技術への対応の遅れをみてもそれは明らか。でも「そんなん誰が求めてるわけよ」と開き直れる強さが彼らにはある。

それは南米や北アフリカといったこれから伸びることが予想される地盤を背景に持つからでもあるだろう。その地においては、廉価で堅牢で乗員含む積載力が乗れることが望まれる。

先代モデルに比べてかなり大型化されたが、旧きよき時代のフランス車の持っていた『気持ちよさ』、『いい意味での割り切り』を具現化しているのがルノーカングー

日独に対すれば、ある意味よほど現実主義でもあるといえるだろう。

そんなフランス車の味はベーシックなクルマにこそ強く宿っていると思う。車格のわりにサイズも掛け心地もゆったりしたシート、形式云々関係なくあらゆる入力を丸く収めながらも路面の接地感はしっかりと伝えるバネやダンパーのセットアップ、トップエンドに個性はなくも低回転域から踏んだぶんだけしっかり仕事をするエンジン、形状的にきっちり使い切れる荷室等……。

これを限りなく旧き佳き時代からのかたちで伝えている現行車といえば、ルノーカングーをおいてほかにないだろう。

イタリア車の味は最もわかりやすく五感を刺激する

イタリア車の味はこれらの国別においては最も明快だと思う。

回せば回すほど活き活きと力強く応えてくれる、踏まずにはいられないエンジン、好みはあれど力強く前向きで、確たる造形力を実感させるデザイン、クイクイと向きを変えるに調子の合ったステアリングのギアレシオやロールスピードは早いものの留まってから向こうの粘りがよく効く足周りなど、それらが織りなす重量や質量的な問題とは違う心理的な軽さがクルマに宿っている。

もちろんフェラーリやマセラティのようなクルマは別枠だが、フランス車同様、廉価なコンパクトカーでもご当地感が存分に感じられるのが嬉しい。

各国のクルマが生き残りのためにドイツ車化しているのに対し、フィアット500、なかでも1.2ポップの4気筒エンジンがイタリア車の味を堪能できる。やや薄味になったが貴重

とはいえ、そういうベーシックなイタリア車の選択肢は年ごとに絞られている。現在フィアットのホームページに掲載されているモデルは500と500X、パンダのみ。うち、最もイタリア車的なフットワークを持つのはパンダだと思う。

が、エンジンがツインエアのみという点が惜しい。

イタリア車の真髄たるエンジンに昔ながらブン回してナンボ感が宿っているのは、200万円以下で買えるフィアット500の1.2ポップだと思う。この4気筒ファイアユニットのスポーティネスこそが旧きよきイタリア車の味だ。