■庶民派スペシャルモデルも多くが開発中止に
なにも登場せずにガッカリだったのはスーパーカーだけではない。ちょっと手を伸ばせば買えそうな”庶民派スペシャル”なクルマたちも多いのだ。
経済情勢が理由だったり、衝突安全性が原因だったりといろいろと制約が多いのだが、いまの時代にこそこのようなクルマたちが必要です!!
【ダイハツ シャレード デ・トマソ 926R】
グループBのホモロゲーションに合致させ、1984年に登場したラリー用ベース車「926ターボ」。
その926ターボのエンジンをDOHC化し、ミドに横置きしたモデルがこの926Rで、1985年の東京モーターショーに出展。
ワイドなリアフェンダーを持つスポーティなルックスから市販化を望む声は多く、実際にメディア向けの試乗会も実施され好評を得たが、生産に移されることはなかった。
実現していれば国産のホットハッチとして、今でも伝説になっていたに違いない。
【トヨタS-FR】
2015年の東京モーターショーで発表された、86の下に位置するコンパクトFRスポーツ。

開発は進められていたが、ボディサイズから北米や欧州での安全性能の確保などが難しく、販売エリアが限定されるということで開発中止が決定された。
小ぶりなサイズで日本で待ち望んでいたファンが多かっただけに残念。
【スバル1500】
スバル初の乗用車で、日本初のフルモノコック構造を採用した画期的モデル。最初の試作車完成は1954年で、1.5Lの直4OHVエンジンを搭載していた。

試作車は翌1955年までに20台が製作され、タクシー会社によるモニターテストも、当時の運輸省による性能テストでも優秀な成績を収めた。
しかし生産への投資額の多さや経営的見地からの判断により、本格量産には至らなかった。
【ガライヤ】
ASL(オートバックス・スポーツカー研究所)が開発した2シーターミドシップスポーツで、一般公開は2002年の東京オートサロン。
800㎏の車体に204psを発生するSR20VEエンジンを搭載し、650万円での販売が予定されていたが、2005年に発売中止が決定した。

シリーズ2位を3回獲得するなどスーパーGTでの活躍も記憶に新しいガライヤ。その戦闘力は非常に高かった。
ミドシップスポーツとしては手ごろな価格だっただけに市販されなかったのは残念だ。
【ダイハツ X-021】
X-021は1991年の東京モーターショーで発表された本格ライトウェイトオープン。設計、開発を行ったのはレーシングマシンコンストラクターである童夢。

バスタブ構造のキャビン前後にアルミニウム製のスペースフレームを組み、その上にFRPボディを被せることで車重は700kgに抑えられていた。
テストコースで試乗も行えるほど完成されていたが、バブル後の景気悪化により、計画は頓挫してしまった。
現在はレストアされて童夢の倉庫にて余生を送っているとのこと。コンセプト自体はコペンの元祖ともいえそうなモデルだ。
【ホンダS360】
S360は1962年の第9回東京モーターショーに、S500とともに出展された。
全長わずか2990mmのボディに、33ps/2.7kgmを発生する360ccエンジンを搭載していた。

特筆すべきはこのエンジン、まだ空冷が主流であった時代に、水冷4気筒のDOHCであったことだ。当時、驚くほど高価で高精細なエンジンだったが、ホンダはこのエンジンをトラックのT360にも搭載した。
このS360、試走会も行われ、誰もが販売されると考えていたが、翌1963年に登場したのはトラックのT360と、排気量がアップされたS500だった。
この背景には360ccのスポーツカーが海外では売れないこと、かといって日本国内ではビジネスにならないといったホンダの苦悩が感じられる。

また特定産業振興臨時措置法案が議論されていた頃であり、T360とS500が同時期に発表されたのは商業車にもスポーツカーにも力を入れたいホンダならではだった。
写真は2013年に公開された復元モデル。わずかに残った5枚の図面から作られた。
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