1970年代中盤〜後半に白人気が台頭
1975-1976年に突如それまで日本車の大半を占めた有彩色一気に約40%までシェアを落とす。白人気が台頭し、有彩色のシェアを食ったかたちだ。
ある特定の車種の白が売れたとかではなく、どのクルマも白のボディカラーが増えていたのが特徴だ。
では、なぜ白人気が高まってきたのか。
日本車の塗装の影響が大きい。現在の高度な塗装技術とは違い、有彩色、黒は経年劣化が激しく、きれいな状態を保つのが困難だったため、徐々に有彩色を敬遠する人が増えていったと言われている。
それに対して白やシルバーは、水垢は目立ってしまうが小キズも目立ちにくく、色の劣化も有彩色に比べるとわかりにくいという利点があった。
1980年代は日本車=白の時代
1980年代は『日本車=白』というイメージを決定づけた時期といえる。
1970年代後半から白人気が高まり、白のボディカラーがジワジワとシェアを伸ばしていたが、決定打となったのが1981年にデビューした初代トヨタソアラ。
この初代ソアラをより魅力的に見せたのが、ソアラで初採用された『スーパーホワイト』のボディカラーだった。従来の白よりもさらに白いというセールスポイントどおり、それまで白がくすんで見えたほど。
次なる起爆剤は1982年のマイナーチェンジでツインカム24(直6DOHC)エンジンを搭載したマークII/チェイサー/クレスタ(GX71系)の3兄弟の登場で、『白い4ドアハードトップブーム』が勃発。もちろんボディカラーはスーパーホワイト以外あり得なかった。
一連のムーブメントはハイソカーブームと呼ばれ社会現象にもなり、1985年から1987年にかけては、白のシェアは75%超! 実に新車の4台に3台は白で、白いクルマが街中に溢れていた。
しかし白人気も、強者どもが夢のあと、ハイソカーブームの終焉とともにシェアを落としていき、人気低迷の1990年代に突入する。
クルマに高級感を求め始めた1990年代
1991年にバブル景気が崩壊しはじめ、1993年には完全に崩壊。バブル崩壊がクルマ界にもたらしたのがミニバンブームだ。
このミニバンブームは、オデッセイに代表されるセダンベースの乗用タイプミニバンがまず人気となったのが特徴的だが、BOXタイプミニバンも脱商用車イメージに成功し人気が高まった。
これはバブル期から継続する価値観として、クルマに高級感を求める人が増えたのもボディカラー選びに変化をもたらした。クルマにはいろいろなボディカラーが用意されるなか、黒をはじめとする濃色の人気が高まってきたのだ。
データからもわかるとおり、シルバーと黒、青が白のシェアを食って人気を伸ばしていった。
1980年は白が大人気となっていたが、塗料、塗装技術とも進化を続けメタリックだけでなくマイカ系が登場したことで、シルバー、黒の無彩色はこれまでと違うエフェクト効果(光の当たり具合によって色が変化して見える)もあり、人気を高める要因となったという。
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