クルマを購入する時にボディカラーの選択は重要な要素となる。1980年代に比べると、日本車のカラーバリエーションは豊富になり選択肢も増えている。
ボディカラーは好みが反映されるため、個性を主張するアイテムにもなるため自分の好きな色を購入するのがベストだが、次のクルマを購入する場合、下取り価格や買い取り価格にシビアに影響する。実際に人気色と不人気色では、20万円程度差がつくケースもある。
現在日本車(乗用車)のボディカラーは何色が人気なのか? 年代によって日本車のボディカラーの人気は変わっているのか? 発表されたデータを元に検証していく。
文:ベストカーWeb編集部/写真 :TOYOTA、LEXUS、NISSAN、HONDA、DAIHATSU
日本車のボディカラーの一番人気が白ではない時代もあった
一般社団法人日本流行色協会(以下JAFCA)では、1965-1966年から現在まで乗用車のボディカラー別の販売シェアを集計している。
この集計されたデータを見れば、日本車のボディカラー比率がどのような変遷をたどっているのかがよくわかる。年代別に特徴を見ていこう。
国民車構想を経て一般大衆にもクルマが行き渡り始めた1965-1966年から現在までのデータということで、ボディカラー比率=日本人のボディカラーの嗜好といっていい。
1960年代〜1970年代中盤は白が一番人気ではない
いつの時代も日本車のボディカラーは白が一番人気、というイメージを持っている人も多いと思われるが、データを取り始めた初年度1965-1966年についていえば、白はわずか2%でしかない。
1960年代初期、白は救急車、赤は消防車の色として、見間違えたりしないように白、赤のボディカラーのクルマの販売を規制していたという。規制緩和されるのが1960年代中盤からで、データでも徐々に白、赤が増えている。
1965年にデビューした3代目クラウンのキャッチフレーズが『白いクラウン』ということからも白いクルマが珍しかったことがわかる。

この時期の日本人のボディカラーの嗜好で特筆すべきは、有彩色のパーセンテージがとても高いことだ。1970-1971年は日本の自動車史上最大となる約80%が有彩色というのはビックリ。
そのほかでは現代ではカッコいいが自分で買うとなると躊躇する黄色の比率が高いこと。特に1970-1971は黄色が一番人気というのが凄い。
この時は黄色のボディカラーを設定している車種が多く、トヨタセリカ&カリーナ、日産フェアレディZ&チェリー、スズキフロンテクーペなどが売れたことも大きな要因となっていると思われる。

今もクルマは高額で貴重品というスタンスは同じだが、この当時はクルマに対する憧れ、所有したいという願望は今とは比べものにならない。その非日常性のものに華やかさを求めた結果、有彩色が好まれたという。
あと、1964年に日本でもテレビのカラー放送が始まった。日本人の色の感覚が大きく変化する要因になったのは疑いようがない。

1970年代中盤〜後半に白人気が台頭
1975-1976年に突如それまで日本車の大半を占めた有彩色一気に約40%までシェアを落とす。白人気が台頭し、有彩色のシェアを食ったかたちだ。
ある特定の車種の白が売れたとかではなく、どのクルマも白のボディカラーが増えていたのが特徴だ。
では、なぜ白人気が高まってきたのか。
日本車の塗装の影響が大きい。現在の高度な塗装技術とは違い、有彩色、黒は経年劣化が激しく、きれいな状態を保つのが困難だったため、徐々に有彩色を敬遠する人が増えていったと言われている。
それに対して白やシルバーは、水垢は目立ってしまうが小キズも目立ちにくく、色の劣化も有彩色に比べるとわかりにくいという利点があった。

1980年代は日本車=白の時代
1980年代は『日本車=白』というイメージを決定づけた時期といえる。
1970年代後半から白人気が高まり、白のボディカラーがジワジワとシェアを伸ばしていたが、決定打となったのが1981年にデビューした初代トヨタソアラ。
この初代ソアラをより魅力的に見せたのが、ソアラで初採用された『スーパーホワイト』のボディカラーだった。従来の白よりもさらに白いというセールスポイントどおり、それまで白がくすんで見えたほど。

次なる起爆剤は1982年のマイナーチェンジでツインカム24(直6DOHC)エンジンを搭載したマークII/チェイサー/クレスタ(GX71系)の3兄弟の登場で、『白い4ドアハードトップブーム』が勃発。もちろんボディカラーはスーパーホワイト以外あり得なかった。
一連のムーブメントはハイソカーブームと呼ばれ社会現象にもなり、1985年から1987年にかけては、白のシェアは75%超! 実に新車の4台に3台は白で、白いクルマが街中に溢れていた。
しかし白人気も、強者どもが夢のあと、ハイソカーブームの終焉とともにシェアを落としていき、人気低迷の1990年代に突入する。


クルマに高級感を求め始めた1990年代
1991年にバブル景気が崩壊しはじめ、1993年には完全に崩壊。バブル崩壊がクルマ界にもたらしたのがミニバンブームだ。
このミニバンブームは、オデッセイに代表されるセダンベースの乗用タイプミニバンがまず人気となったのが特徴的だが、BOXタイプミニバンも脱商用車イメージに成功し人気が高まった。
これはバブル期から継続する価値観として、クルマに高級感を求める人が増えたのもボディカラー選びに変化をもたらした。クルマにはいろいろなボディカラーが用意されるなか、黒をはじめとする濃色の人気が高まってきたのだ。
データからもわかるとおり、シルバーと黒、青が白のシェアを食って人気を伸ばしていった。
1980年は白が大人気となっていたが、塗料、塗装技術とも進化を続けメタリックだけでなくマイカ系が登場したことで、シルバー、黒の無彩色はこれまでと違うエフェクト効果(光の当たり具合によって色が変化して見える)もあり、人気を高める要因となったという。

21世紀になりボディカラーのシェアは安定気味
21世紀に入ってからは無難な色と言われるシルバーの人気が相変わらず高いものの、増減を繰り返していた黒と白が復権しているのが特筆。
白が一番人気に復帰してはいるが、1980年代のような寡占状態ではなく、白、黒、シルバー、有彩色がほぼ同じ比率になっているのも注目だ。
有彩色、黒が比較的安定した人気を得ているのは、コンパクトカーと軽自動車のシェアが増えている点が見逃せないポイント。
セダン系モデルに比べて有彩色の比率が高い。コンパクトカー、軽自動車の白はビジネスユースのクルマに間違われやすい、という考えもあるようで、有彩色を選ぶケースが増えている。
かつてコンパクトカー、軽自動車に黒のボディカラーが設定されることは少なかったが、現在では当たり前になっているのも黒の安定人気につながっている。

21世紀に入ってもクルマへの高級志向は続いていて、それに応えるように塗料、塗装技術とも進化を続け、ユーザーのニーズに応えている。その結果、ソリッドカラーの比率が下がり、エフェクト色が勢力を拡大している。
では、日本人のボディカラーの好みは、世界的に見てどうなのか。
BASF(本社ドイツ)が公表した『BASF自動車用OEM塗料カラーレポート』データを日本のカラーシェアと比較してみよう。

●世界のボディカラー比率(2017年)
1位/白(39%)2位/黒(16%)3位/グレー(13%)4位シルバー(10%) 5位/青(7%)6位赤(7%)7位/茶(5%)8位/黄(3%)9位/緑(1%)
●日本車のボディカラー(2016〜2017年)※分布図より算出
1位/白(35.4%)2位/黒(22.0%)3位/シルバー(12.5%)4位/青(8.7%)5位/赤(5.8%)6位/グレー(4.8%)7位/茶(4.3%)8位/緑系(1.9%)9位/紫系(1.5%)10位/ピンク(1.0%)11位/オレンジ(0.8%)12位/ベージュ(0.7%)12位/黄 (0.6%)
データを見ると、順位は違うものの、白、シルバー、青、赤、茶などの全体における比率はかなり似ているといっていいレベル。
ちなみに世界のボディカラーの白比率を大きく上げているのがアジア地域で、唯一50%オーバーをマーク。中国マーケットで有彩色、黒の人気が高まっているものの白が圧倒的人気なのがその要因と言われている。
日本のクルマのボディカラーは白が異常人気の特殊ケースと1980年代から1990年代にかけて言われていたのも過去の話、今では世界平均に近くなっていて、特殊だったのは20世紀限定と言えそうだ。

安全装備の義務化やボディ規格、パーツの共用化などで、「最近のクルマは個性がなくなってきた」と言われて久しいが、少なくともボディカラーに関していえば、選択肢のバリエーションは豊富になったし、そこから個性的な色を選ぶ人も増えたようだ。
クルマは個人の持ち物であると同時に街を彩る景色の一部という側面もあるので、華やかで明るい色のクルマが増えることはすばらしい。少なくともそういう色を選ぶ人(選べるクルマ)が多い時代が続くといいなと思います。