ベストカーWebで『日本メーカーの失敗作』、というテーマは企画展開するとかなり人気が高い。クルマは移動手段と同時に趣味や趣向が反映されるため、いいクルマがすべて販売面で成功するわけではない。
しかし、自動車メーカーとしては商売をしているわけだから、いいクルマと褒められても売れなければ失敗作とみなされてしまうのは仕方ない。
そんな日本メーカーのリリースするクルマに対し、常に評価が高く失敗作などないのでは? と感じるのがドイツの両雄、メルセデスベンツとBMWだ。
では、本当にこの両メーカーには失敗作と呼ばれるものがないのかを鈴木直也氏が考察する。
文:鈴木直也/写真:MERCEDES-BENZ、BMW
ベンツ、BMWにも失敗がある
ベンツやBMWなどのヨーロピアンプレムアムは、日本のクルマ好きにとって憧れの対象。値段がお高いこともあって、例外なく大成功しているようなイメージがある。
しかし、現実はキビシイという点では高級車も軽自動車も同じ。ベンツ/BMWにも失敗したクルマがあるし、ジャンルとして不得意な分野もある。

例えば、ベンツは伝統的な高級車をもっとも得意としているから、このジャンルに“ほぼ”失敗作はない。
歴代Sクラスで評判が悪かったモデルといえば、肥大化して環境性能の悪化を批判されたW140(1991〜1998年)あたりだが、燃費の優れたレクサスLSとの対比で評判を落とした印象。クルマそのものの出来は、そんなに悪くはなかった。
いっぽう、BMWの得意ジャンルはスポーティなクルマ。スローガンの「駆け抜ける喜び」そのまんまで、そういうクルマを造らせるとじつにイイ仕事をする。
フラッグシップのMシリーズは当然としても、ごく普通の320iあたりでもドライビングの楽しさは秀逸で、こういうジャンルでBMWが「ハズした」ことはない。
しかし、人間でも同じだが慣れない不得意分野に手を出すと、さすがのベンツ/BMWでも上手くいかないことがある。

期待に応えようと奮闘したことが仇に
典型的なのが1997年に登場した初代Aクラスだ。
誰が考えたって、ベンツがスモールカーを造るなら、ただ小さくて安いだけのクルマは期待しない。開発側もそれは痛いほど意識しているから、どうしても理念先行型のコンセプトを掲げがちになる。

そこで初代Aクラスは、全長わずか3.8mのBセグハッチバックながら、Eクラスと同等の衝突安全性能を確保することがテーマとなった。
そのために採用したのが、フロント横置きに搭載されるエンジンを約60度前傾させ、衝突時には強固な二重構造のサンドイッチフロア下に滑り込ませるという車体構造。
サンドイッチフロアは、将来はEVの電池スペースとして使うことも想定されていて、ベンツとしては「将来の電動化時代を見据えて、スモールカーに革命を起こす」という意気込みの意欲作だった。
ところが、デビュー直後につまづいたのが、“エルクテスト”で有名になった緊急回避操舵での横転傾向だ。この問題は、即座に全車にESPを標準装備することで対策されたのだが、独特な車体構造からくる重心高の高いドライブフィールに、最初から悪いイメージをつけてしまったことは否定できない。

また、当初の予想ほどにはEVの普及は進まず、サンドイッチフロアの存在意義が希薄となったのも痛かった。
結局、高い理想を掲げて2世代16年頑張ってみたものの、3代目Aクラスではごく普通のパッケージングに転向。セダンやSUVなどにバリエーションを広げ、徹底的なマーケティング思考のCセグコンパクトカーに大変身を遂げることとなる。
やっぱり、コンパクトカーは理想論では食えない。それを自ら証明しちゃったのが、初代Aクラスの失敗だったといえるだろう。

理想と現実のギャップに苦しむ
同じく、理想論で突っ張って苦しんでいるクルマとして、BMW i3があげられる。
発売4年で10万台を達成するなど、i3は500万〜600万円クラスの高級EVとしてはむしろ健闘している部類。現時点でこれを失敗作というのは、ちょっと忍びない。

しかし、これが近い将来EVの主流になるかというと、それはかなり微妙。理念優先の高コストなクルマ造りには、かなり危ういものがあるように見える。
i3が掲げた理想は、バッテリー重量のかさむEVは、そのぶん車体構造を軽量化しなければ効率がよくならない、というもの。そのために、アルミフレームにCFRPのボディを載せるなど、実用型EVとしては異例に贅沢な車体構造を採用している。
しかも、EVはサプライチェーンから生産工場まですべての領域で環境に優しくなければならないという理屈で、アメリカで生産されるCFRPの工場はエネルギーをすべて水力発電の電力で賄うとか、ドイツの組み立て工場は完全なCO2排出ゼロで運用されるとか、とにかく理想追求型。いわゆる「意識高い系」そのものなのだ。
もちろん、これは建前的には素晴らしいことばかりなのだが、ここまで環境コンシャスなクルマ造りを徹底すると、当然価格にそれが反映され、回り回ってユーザーの負担が重くなる。

こういう“political correctness”なクルマ造りがエスカレートすれば、最後はお金持ちしかクルマに乗れなくなる世界が待っている。理念は素晴らしいのだが、そこにちょっと息苦しさを感じてしまうのだ。
高級車メーカーはついつい理想論に走りがちがけれど、それもほどほどにしておかないと痛い目にあうよね、というお話でした。