ル・マンに挑むトヨタとマツダの「違い」
「トヨタの場合はマツダと違って、もう少し小さな範囲でのパートナーシップです。あなたもご存じのように、技術面とメカニックなど人員でのサポートですね」
「うちから派遣したテクニカルディレクターがTMGのパスカル・バセロンと一緒にレース戦略の仕事もしていますが、マシン作りに参加はしていません。ここが30年ほど前のマツダと最も異なるところです」
マツダはロータリーエンジンという異色の技術をル・マンという大舞台で試すことで、その存在価値や意義を世にぶつけることに賭けた。
トヨタはハイブリッドシステムを含むマシン全体とそれに携わる人間を、様々な事態が起こりうる24時間レースの過酷な状況下で鍛えることにより、将来に繋がる技術力の継承を目指している。
マツダとトヨタのル・マンへのアプローチの違いはそこにあると私には思えるのだが、両メーカーのル・マン参戦の真意がどこにあるかなんて、モータースポーツという狭い業界の一記者でしかない私には図りようがない。
日本に限った話ではないが、自動車メーカーにとってのモータースポーツ活動は、多分に政治的にしてその折々の経営陣の方針に左右される。
どんなにもっともな活動意義を語っていても、経営環境や経営トップの気持ちが変わればあっさり背を向け去っていく。
そんな自動車メーカーの出たり入ったりの繰り返しを幾度となく見てきたド・ショナック氏だが、その目に彼らを見くびるような色は微塵もない。
オレカにとってメーカーが商売上の『お客様』であることはもちろんだが、ド・ショナック氏がマツダ、トヨタと口にするとき、そこには自動車を生業とする企業とそこで働く人々への敬意が感じられる。
ル・マン24時間レースが意味するもの
「トヨタも経験を積んですべてを自分たちでできるようになってきたので、我々が協力する領分は少なくなっていくでしょう」
「でも、私はオレカのボスです。このレベリオンやLMP2(トヨタが参戦するLMP1の下位カテゴリー)でやるべきことはたくさんあります」
インタビューを終えて先に席を立ったド・ショナック氏の後ろ姿がガレージの奥に消えるまで見送った。
レースで勝利を求めることは大事だ。でもそれだけがレースに求める姿ではない。
モータースポーツ黎明期の、欧州の古き良き時代の馥郁たる空気をその身に感じさせるド・ショナック氏の懐の深さこそ、厳しく、妖しく、時に気まぐれな魅力にあふれたル・マン24時間レースそのものに思えた。
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