2018年8月19日、WRC(世界ラリー選手権)第9戦が最終日を終えた。トヨタ(ヤリスWRC)が見事優勝を飾った同イベントには、既報のとおり自動車ジャーナリストの国沢光宏氏も参戦。注目の結果、そして本場欧州で見た日本の“あのイベント”さながらのWRCの「文化」とは?
文/写真:ベストカーWeb編集部
総距離は日本の4倍超! WRCドイツで国沢光宏が奮闘
1Lターボ、180馬力のフィエスタ R2を駆り、国沢氏がWRCドイツに参戦。8月16日(木)~19日(日)の4日間、延べ400km超という日本のラリーの4~5倍にも達する競技区間(スペシャルステージ、SS)で争われた本場、欧州での1戦を走り切った。
WRCドイツは4日間に全部で18のSSが設定され、1日目はSS1、2日目はSS2~SS7、3日目はSS8~15、そして最終にはSS16~18の3本が行われた。
初日は特設コースで行われる2.04kmという短距離のスーパーSSのみ。ここでは国沢氏の直前を走るマシンがクラッシュし、その後の走行はキャンセルされたため走行できず。
2日目は、一面に広がるブドウ畑の間を縫うように走る名物コースなどで行われ、フィエスタ R2を相棒に順調に走行を重ねた国沢氏は、同じR2マシンが該当する「RC4」クラスで11台中7位と奮闘。
直前を走るイタリア選手権チャンピオンのプジョー 208 R2と互角のタイムをマークするシーンもあり、本場での戦いを満喫。
しかし、3日目にトラブル発生。この日は軍事演習地内を走る「パンツァープラッテ」など、これまたWRCドイツの名物コースが組み込まれているが、コースイン側の障害物に車が引っ掛かり、「片輪が2秒くらい浮くほど」というアクシデントに遭遇。
マシンのダメージはさほど大きくないように見えたが、当たり所が悪く、インタークーラーを破損し、この日は競技復帰ならずデイリタイアとなってしまった。
それでも、問題のインタークーラーをその日のうちに修復し、最終日は再び戦線復帰。
多くのサーキットレースと異なり、一度リタイアしても翌日競技に復帰できる。もちろん、順位は下位に沈んでしまうが、それも自然を相手に何日もかけて戦うラリーという競技の本質だ。
競技最終日は、荒れた路面での林道区間を経て、美しい街並みの市街でフィナーレを迎える。この日は大きなトラブルもなく国沢氏は初の海外WRC競技参戦を無事走り切り完走した。
「ここ10年で1番悔しい」と国沢氏は言うが、それも本場・欧州で行われるラリーの難しさと奥深さの象徴だ。
まさに箱根駅伝!? WRCという文化と意義
皆さんがドイツを訪れるといっても、空港のあるフランクフルトであり、ミュンヘンであったりで、WRCが開催されるような“ドイツの田舎”を味わうことは少ないのではないだろうか。
しかし、だからこそ、そうした田舎で開催されるWRCには、地域性が色濃くうつる。
例えば、WRCドイツではブドウ畑の合間を縫って走る細い農道のような道、そして軍事演習場を舞台とした難攻不落の「パンツァープラッテ」など、名物コースが多数存在している。
なかには、路面の舗装コンディションも劣悪で、ときおり「ここがラリーのコース?」と驚く場所もあるが、それがドライバーや車を鍛えている。
そして、単にコースとしてだけでなく、その開催地ならではの風光明媚な景色は見る者を圧倒する。
観客の楽しみ方も独特だ。
SSに設けられた観戦エリアに行くと、ソーセージの美味しそうな匂いを漂わせた屋台が並び、家族連れ、カップル、老人にいたるまで多くの人々が、ビール片手にラリー観戦を楽しむ。
そして、場内実況のアナウンサーが「ベルギー人はいるか? イタリア人は? エストニア人は?」と、順々に各国の観戦客を煽ると、どこからともなくそれらの国の人々が集まるゾーンから熱狂的な歓声が飛ぶ。
WRCは日本で言えば箱根駅伝のようなものなのかもしれない。普段は、マラソンや駅伝に興味が薄いであろう地域の人も、老若男女問わず沿道で声援を送る。筆者の地元・小田原で毎年見るそんな光景を、このWRCの熱狂を見て思い返した。
WRCとは一種の「祭り」であり、毎年恒例の一大イベントなのだ。
来年、2019年はいよいよWRCの日本開催が濃厚と言われる。日本でもこうした“文化”が根付き、WRCが地域の人々に愛され、全国の注目を集める「祭り」となることを期待したい。
※今回のWRC参戦費用や車両に関しては、こちらの記事を参照
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