抜きんでた傲慢さをもつF1チャンピオン、セナ
デビュー当時からセナのレースは波が大きく、その波は彼自身のメンタルからくるものが多かった。特にデビューイヤーは勝ちたい意識が先走り、強引なレースを展開、もちろんアクシデントの数も多かった。その後トップドライバーへと成長はしたのだが、レースの強引さは相変わらずで、速いマシンを得て自分が勝てる状況に入り込むとレース展開にかなりの傲慢さ、自己中心的なレースを展開し、これは93年まで変わることはなかった。
数多いチャンピオンのなかでも、抜きんでた傲慢さをもつチャンピオンであった。それも天才的かつ繊細な見切りにも秀でていた。だからこそ限界を極め、常人では到達できない“限界超え”を自分の物にしていたのだ。
ただし最後にはその見切りをも超えて限界の向こうの世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。それはドライブテクニック等ではなく、まさに精神世界の限界という話である。
天才レーサーであることに疑いの余地はないセナだが
セナの伝説は、10年で3回ものワールドチャンピオンを獲得した“天才レーサーの悲劇の事故死”というキャッチによって誇張されてきたことは隠せない。もちろん天才レーサーであることに疑いの余地はないのだが。本当のセナに対峙することがないままに、奴はあまりにも速く駆け抜けていってしまった。まるでそれが幻想であったかのように……。
【画像ギャラリー】当時の貴重な写真を公開!音速の貴公子と謳われたかつてのセナを偲ぶ(2枚)画像ギャラリー津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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