危篤の肉親のもとへ
お客さんは男性で確か30歳前後だったと思います。慌てて家を飛び出して来たという通り、ラフな服装にコートを羽織っているのがとても印象的だったのをよく覚えています。
当時勤めていた運送会社は規則に関してさほど煩くなく、以前にも何度かヒッチハイカーを乗せたことがあります。こういった類のことに関して、個人的にもあまり抵抗を感じませんでした。ヒッチハイカーは夢や希望に満ち溢れている人達が多く、移動の車中いろんな話を聞けて自分にとってもプラスになり、楽しく移動することができました。
しかし今回は状況が状況……。男性は神妙な面持ちで俯いたまま。私は「大変でしたね。なんとか間に合うようにできる限り急ぎますんで!」と一言だけ声を掛けることしかできず、ほぼ終始無言で走ったと思います。
私も若くて世間知らずの小僧だったので、気の利いた言葉をかけてあげることができず、申し訳なかったなぁと思います。もし自分が同じ立場で親の危篤一報を聞いた時に、果たしてすぐに向かうことができるのだろうか? なんて考えていたような記憶があります。
男性を乗せて雪道を走らせること約90分、身内が迎えに来てくれるという長野ICに向かいました。本来関西へ向かうには一つ手前の更埴JCTから長野道に切り替えなければならないのですが、男性の実家への最寄りのインターである長野ICへと独断でルートを変えました。
身内が迎えに来た長野ICに到着
到着すると既に身内の迎えのクルマが待機しており、男性が下り際に「タクシー代で手持ちが少なくこれしか無いのですが……」と言いながら3000円を手渡してきたのです。もちろん受け取れないと拒否したのですが、押し問答している時間ももったいないので、誠意分として受けとりました。
男性は足早に身内のクルマに向かって去って行き、私はUターンで大阪に向かって行きました(この時、公団側の人に事情を話したら、わざわざ上下線を塞ぐパイロンを退かしてくれたのです!)
会社に届いた1通のメール
こんなことがあって一週間後だったかな、長距離運行明けで会社に帰庫したら上司から呼びだされました。メールが社内に届いていたらしく、その内容は最後の最後で親御さんに会うことができ、到着を待ち侘びていたのかと思うように息を引き取られたとのことでした。
特に連絡先を教えてないにも関わらず社名と車番で調べてくださったようで、長文の感謝の言葉を書き連ねて下さっておりました。私自身、あと先考えずその場の判断でできることをしたまでです。もちろん上司から多少の叱責はありましたが、やむを得ない事情とのことでお咎めなしでした。
予期せぬ事案で戸惑いましたが、少しは人の役に立てたような感じもします。ちょっと切ない思い出でした。
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