Zの50周年を記念して、初代S30型の432-Rと現行Z34型の50周年記念車を用意。432-Rのオーナーであり、初代Zのオーナーズクラブ「S30ZCAR.JP」の会長である竹内章氏、ご存知「Zの柳田」こと柳田春人氏とともに、Zの50年をリアルタイムで経験してきた伏木悦郎氏がレポートする。
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※本稿は2019年9月のものです
文:伏木悦郎/撮影:平野 学
初出:『ベストカー』 2019年10月26日号
■初代Z432-Rのオーラは時空を超えて
歌は世に連れ世は歌に連れという。NHKの宮田輝アナウンサーや『ロッテ歌のアルバム』の名司会で記憶される玉置宏が好んで用いたセリフだ。
今は平成の30年を過ぎて令和元年。昭和の決まり文句を知る読者は少なくとも中年の域に達しているはずだが、歌を車(クルマ)に置き換えても意味は成り立つ。
私(伏木悦郎)は現在67歳。運転免許取得は18歳の1970年。
49年の自動車人生を今もスタスタ歩んでいるが、過ぎた時代を振り返る時、流行歌と同じ存在感で往時のクルマが蘇る。
あの年のレコード大賞は尾崎紀世彦『また逢う日まで』? 正解は菅原洋一『今日でお別れ』。
あらためて振り返ると今日でお別れまた逢う日までとリレーソングの趣だが、時代は高度経済成長期の頂点。
1989年(平成元年)は日本車のビンテージイヤーと振り返られるが、実はその20年前1969年もスカイラインGT-R(PGC10)とともにフェアレディZ(S30)が登場している。
排ガス規制とオイルショックに沈む直前の光明は、私にはバブル崩壊の前夜に出現した280馬力軍団と重なる。
さて、Zである。私にとっては“永遠の憧れ”と形容したくなる記憶に残る一台だ。
自動車人にとって、最初のクルマは重要だ。
私のそれは免許交付のひと月前に登場した日産サニー1200クーペGX。価格は確か63万円だった。スカイラインGTが80万円台だったと思う。
GT-R? 総生産台数2029台だよ。当時路上では一度も見たことがない。虚構がブランド化した稀有の存在ですね、Rは。
S30フェアレディZは、L20型直6SOHCを基本にした5ナンバーモデルとして世に出ている。
その一角にPGC10に搭載されたS20型DOHC24バルブモデルの432(4バルブ・ソレックス3連装、2カムを表す)があり、後に輸出モデル用に開発されたL24モデル(2.4L)が加わる。
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