S660エンジンベースで250馬力! FIAが認定した421km/hの最高速世界記録を達成したチームは総勢たった16人。20代主体のホンダ社員だった。どのようにして、この記録を生んだマシン、「S-ドリーム」は作られたのか?
そして、“16人の若者”とはどんな人物なのか? 記録達成の裏側に迫る。
文:WEBベストカー編集部/写真:WEBベストカー編集部
量産車は「500人で5年」、ボンネビルは「16人で1年」
9月18日、ホンダが660ccエンジンを搭載した「S-ドリーム」で、FIA公認の世界最高速度新記録421km/hを達成した。
舞台となったのはアメリカ・ユタ州の「ボンネビル・ソルトフラッツ」。その名のとおり塩湖のまわりにできた平原で、スピード記録チャレンジの舞台としても世界的に知られている。
今回取材を進めてわかったことだが、「660㏄エンジンで421km/h」という困難なミッションを達成したこのプロジェクトはじつに異例ずくめだった。
「ホンダボンネビルスピードチャレンジ」のプロジェクトチームが発足したのは2015年8月。世界記録達成から僅か1年1カ月前のことだった。「若手エンジニアの育成」を主眼に置き、そのためプロジェクトメンバーは公募で募った。
集まったのは約100人、書類審査と面接を経てほとんどが20~30代前半という16人の若きホンダ社員が選出されたのだという。
ちなみに通常、量産車の開発をする際は、総勢500人ほどのチームが結成され、しかも約5年がかりで1台のクルマを世に送り出す。その規模・準備期間と比べると、今回のプロジェクトの異例さがよくわかる。
世界記録を生み出した若き“ホンダマン”たち
「単純にいうと車体側の試作をやっていました。最初はF1の風洞モデルなどを作っていましたね」と話すのは、プロジェクトリーダーの蔦佳佑氏。
1985年生まれで、責任者という立場としてはかなり若手の30歳だ。入社後、蔦氏は2013年に発売されたアコードの開発に携わるなか、ボンネビルチャレンジプロジェクトに応募、プロジェクトの責任者を任されることになったのだという。
もうひとり、シビックタイプRなど2Lエンジンの開発に携わった経験を持ち、このプロジェクトではエンジン設計担当を務めた末長充史氏は次のように、チーム発足当時の様子を語る。
「パワートレイン開発メンバーは全部で6人。ですが、図面を書いたことがない、エンジンを触ったことがないというメンバーもいました。自分も当時入社4年目で『どうすればいいのか?』というところからスタートしましたね」
末長氏も1987年生まれで、ホンダ入社は2012年という20代の若手社員だ。先輩社員に比べて若いとあって、経験もまだ少ない。そんな20代や30代前半の若手社員が、1年後には驚異的な世界記録を生み出すことになる。
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