自分の生活が裕福かどうかというのは価値観の問題で安易に計ることはできないが、住んでいる街が裕福かどうかを表す数値は存在する。今回はそんな日本有数の「裕福な村」を走るコミュニティバスに乗車したのでレポートする。
文/写真:東出真
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
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■充実し過ぎるコミュニティバス
今回の出発地は愛知県海部郡蟹江町の近鉄蟹江駅である。名古屋から近鉄電車で約8分、急行だと最初の停車駅である。駅としての規模はそれほど大きいわけではないが、駅前には商店街が広がり往来は多い。駅の北西部には尾張温泉があり夏の大相撲名古屋場所が始まると、町内の龍照院が高砂部屋の宿舎になっていることもあり賑やかになる。
そんな駅前に出てみると路線バスが停車していた。これが今回乗車する「飛島公共交通バス」、通称「飛島バス」である。「飛島バス」は蟹江町の隣、飛島村が運営するコミュニティバスで、運行は三重交通が行っている。
近鉄蟹江駅から村内を巡り、南側にある公民館分館までを結ぶ蟹江線と、公民館分館から工業団地内を巡回し名古屋港駅までを結ぶ名港線の2路線がある。また2路線でも工業団地内を経由する便もあり経由地により運賃も異なる。
蟹江線は公民館分館までの区間は1乗車200円、その先の工業団地まで乗車すると400円である。バス停の時刻表を見るとパターンダイヤで、平日は1時間に2~3本、土日祝日は1本運行されている。また運行されている時間帯も朝6時台~23時台までと、とてもコミュニティバスの時刻表とは思えないほどだ。
そしてバス停は飛島バス専用デザインで、車両はほぼ三重交通の車両であった。前面と後部に「飛島バス」という表示があるほかは運賃の支払いも、交通系ICが利用できるなど三重交通の路線バスの規格と揃えているようだ。
■タクシーかバスしか移動手段がない?
停車していたバスに乗車し、しばらく待っていると扉が閉まりバスは動き出した。平日の午後という時間であったが10人弱の乗車があったであろうか。飛島村には鉄道路線がなく公共交通としてはタクシーか飛島バスしかないので需要も高いのだろう。
蟹江町内をしばらく走行すると徐々に海の方へと走行していく。日光川にかかる日光大橋を渡ると弥富市へと入る。その後も南下すると「神戸山」バス停までやってきた。ここからが飛島村である。ここからは降車があり何度も停車するが乗車する人はいないようだった。
そして近鉄蟹江駅を出て20分ほど、「飛島村役場」バス停で一旦下車した。ここは降車する人が一番多く、ほとんどがここで降りていった。徒歩でバス停を離れる人や、停めてあった車や自転車などに乗り換えていく人など様々だ。少しの停車の後、バスは終点の公民館分館へと向けて走っていった。
■日本一金持ちな村?
バス停の向こうにあるのが飛島村役場だ。案内看板を見ると隣にあるのが体育館や公民館、ホールや郷土資料室ということだったが、これがまた村役場とは思えないほど立派な建物だ。それもそのはずで、飛島村は「日本一裕福な村」として知られるのである。
そもそも飛島村は1889年(明治22年)10月1日に飛島新田、政成新田、服岡新田が合併して海西郡飛島村が発足した。この頃は新田を作るべく海を干拓して土地を確保することが行われており、村の全体が干拓や埋め立てによってできた。稲作を主とする農村風景が広がる村であったがそれだけに当時は財政力に乏しい、貧しい村であったそうだ。
それが一変したのが1959年(昭和34年)にこの地方を襲った伊勢湾台風である。村のほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯であったことから大半が水没し、大きな被害が出た。その後、湾岸地域に臨海工業地帯の建設が計画され、1962年から1981年にかけて伊勢湾岸の埋め立てが行われた。
1968年には33万平方メートルの貯木場が、臨海工業地帯には輸送関連会社・倉庫会社・木材関連事業所・鉄鋼関連事業所・火力発電所などが立地され、今では名古屋港の物流の重要な地域となっている。これが飛島村に莫大な固定資産税収入をもたらし、次第に裕福な村へと変化していった。
ちなみに2024年度の決算によると歳入額は約63億9700万円で、うち固定資産税は約33億4700万円と半分を占めている。同年度の財政力指数は1.99であり、もちろん日本最高値である。過去には2.21という指数だった年もあり「日本一の金持ち村」として取り上げられることもあるほどだ。






