モビリティリゾートもてぎ内のホンダコレクションホールでは、「二つの情熱、ひとつの夢HondaとYamaha それぞれのWGP挑戦」をテーマにした企画展がスタートしました。
文/高山 正之
この企画展は、10月にモビリティリゾートもてぎで開催されるMotoGP 日本グランプリを記念したものです。
今回は、70年以上にわたりライバルとして切磋琢磨してきた、ホンダとヤマハがコラボレーションした夢の企画です。
ヤマハが社運を賭けたレースでホンダに圧勝
ヤマハ発動機の前身である日本楽器は、1955年2月にオートバイ第1号となる125ccのYA1を完成し発売をスタートしました。そして、日本楽器のオートバイ製造部門を分離独立したヤマハ発動機が1955年7月1日に設立されました。
設立直後、7月10日に開催された第3回富士登山オートレースに出場。二輪メーカーとしては最後発のため、製品の優秀性とヤマハブランドを知らしめるには、レースでの活躍が最も効果があるとの判断でした。
125ccクラスでYA1が優勝し、9位までに6台のYA1が入るという強さを発揮しました。
同年11月には、日本最大のオートバイレース「第1回浅間高原レース」のウルトラライト級(125ccクラス)において、YA1は1位から4位まで独占。
ライバルのホンダベンリイ号を寄せ付けない圧勝ぶりでした。
本田宗一郎は、ホンダ社報に「ウルトラライト級は惨敗で何も云うことはない。素直に認めて大いに反省しなければならない」とコメントを残していますが、そのくやしさは大きかったと思います。
こうして、ヤマハ発動機設立元年は、レースによって大いに名声を高めると同時に、ホンダとのし烈な競争が始まりました。それは70年以上経った現在まで続くことになります。
ホンダ栄光のマシン
ホンダは、1959年に初めてロードレース世界選手権(WGP)のマン島TTレースに出場しました。この年は、125ccで1回のみの出場となりました。
翌年1960年には、125ccと250ccの2クラスに挑戦。
そして、WGP参戦3年目の1961年には、両クラスでメーカー&ライダーチャンピオンを獲得しました。驚異的な速さで世界チャンピオンを獲得し世界に衝撃を与えました。
その後、1966年には50ccから500ccクラスまでの5クラスすべてでメーカーチャンピオンを獲得するという偉業を達成しました。
今回の展示は、5クラス制覇60周年の記念として、力の入った内容となっています。
1961年 RC143 (125cc)
1966年 RC149(125cc)
1966年 RC166(250cc)
後ろから見た6本のマフラーは圧巻です。
1966年 RC116(50cc)
スリムさが際立った車体構成。ライディングには相当の技術が求められました。
1967年 RC174(350ccクラス)
250のエンジンをベースに排気量アップを図っていたため、フルサイズではなかったものの、高いポテンシャルを発揮しました。
1967年 RC181(500cc)
1966年は、メーカーチャンピオンを獲得しましたが、1967年は惜しくもメーカー&ライダーランキングは2位となりました。
初公開となるマイク・ヘイルウッド選手の装備
映像コーナーでは、1961年のマン島TTレースのホンダの活躍を紹介した「世界のランキングを求めて」を放映中。
そして、レジェンドライダーのマイク・ヘイルウッド選手が使用したヘルメットやレーシングスーツを展示。たぶん初公開と思われます。
良好なコンディションを維持するには、さまざまな苦労があったと思われます。
ヤマハの世界制覇と栄光のマシン
ヤマハがWGPに初めて挑戦したのは、1961年。125ccと250ccの2クラスに2ストロークエンジンを搭載したワークスマシンを投入しました。
翌年の1962年は、経営の問題でWGPを休止しましたが、開発は継続していました。
1963年、250ccのRD56を駆る伊藤史朗(いとう ふみお)選手が初優勝を飾り、世界に通じる性能の高さを証明しました。
そして、1964年には250ccクラスで念願のメーカー&ライダー(フィル・リード)チャンピオンを獲得しました。
1965年 RD56(250cc)
1966年 RA97(125cc)
1965年、ヤマハは125ccクラスに新開発の水冷エンジンを搭載したRA97をマン島TTに投入しました。
フィル・リード選手によって、WGP125ccクラス初優勝を飾り、3位は同じRA97を駆るマイク・ダッフ選手が獲得し、常勝ホンダを打ち破ったのでした。
この勝利を境に、125ccでも強いヤマハを発揮していきます。
1968年 RA31A (125cc)
1967年、125ccのマシンは大変革を遂げ、水冷2ストロークV型4気筒のRA31で参戦。圧倒的な強さを発揮してメーカー&ライダーチャンピオン(ビル・アイビー)を獲得しました。
1968年 RD05A (250cc)
1967年、250ccクラスにホンダの6気筒マシンに対抗したRD05Aを投入。
このマシンは、水冷2ストロークV型4気筒エンジンを搭載していました。
フィル・リードは、ホンダのマイク・ヘイルウッドとの激戦で同ポイントで最終戦を終了。
優勝回数により、惜しくもランキングは2位となりました。
日本メーカーがWGPのファクトリー活動から撤退
1967年末、FIMは日本メーカーの多気筒化、ハイパワー化に歯止めをかけるために、マシンのレギュレーションを大幅に変更すると発表しました。
気筒数の制限とギアミッションの段数制限により、技術開発の目的を失ったことになりました。
これにより、ホンダとスズキは1967年をもってファクトリー活動から撤退。
ヤマハは、1968年をもってファクトリー活動から撤退しますが、市販レーサーを供給することで、レース活動の活性化に寄与していきます。
TR-2のエンジンは、市販車のR3をベースにチューンアップ。
フレームは、ファクトリーマシンに採用してきたフェザーベッド型を踏襲し、サスペンションやブレーキにはファクトリー仕様と同等のものを採用しました。
市販レーサーの登場によって、トップライダーからアマチュアまで幅広い層に支持されました。
ホンダとヤマハマシンの比較
1960年代のWGPでは、ホンダは4ストローク、ヤマハは2ストロークエンジンでした。
両社の違いは、エンジンだけでなくカウリングの形状にも表れています。
1966年の125ccマシンで比較しますと、2気筒のヤマハRA97は、下側が大きく膨らんでいます。
対して、ホンダの5気筒RC149は、スリムに見えます。
今回のコラボケーション展示では、このようなライバルマシンの違いを自分なりに発見していく楽しみがあると思います。
企画展では、現代のMotoGPマシンも展示しています。

左 2021年 ヤマハ YZR-M1ライダーチャンピオン獲得(ファビオ・クアルタラロ)。展示車は、このシーズンで現役を引退したバレンティーノ・ロッシ選手仕様。右 2019年 ホンダ RC213Vメーカー&ライダー(マルク・マルケス)チャンピオン車
ホンダコレクションホールで展示中のレーシングマシン
常設展示のレーシングマシンを紹介いたします。
ホンダコレクションホールにお出かけの際は、ホームページで開館時間などをあらかじめ確認してからお出かけください。ホンダコレクションホールは入館無料ですが、別途モビリティリゾートもてぎの入場料と駐車料がかかります。
ホンダコレクションホールのホームページ:https://www.mr-motegi.jp/collection-hall/
詳細はこちらのリンクよりご覧ください。
https://news.webike.net/motorcycle/575647/
ホンダとヤマハのライバルマシンが一堂に!! ホンダコレクションホール企画展が開催中 7月18日(土)~10月18日(日)まで【画像ギャラリー】
https://news.webike.net/gallery3/575647/575695/






























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