クルマのモデルチェンジサイクルは4~6年が一般的だが、なかには予想外の短命になってしまった車種もある。その一方で、逆に13年以上も販売され続けた長寿命車もある。そこで、今回は短命車と長寿命車を紹介しつつ、短命車と長寿命車に明暗を分けた決定的な違いはあるのだろうか?
文:ベストカーWeb編集部/写真:ベストカーWeb編集部
記憶に残る短命車/日産マーチBOX:販売期間1年5カ月
ただ単純に短命グルマとしてリストアップするとしたら、ブルーバードオーズィの3カ月、7代目フロンテの6カ月が最短クラスになるが、やはり我々の記憶に残る短命車として以下の3台を挙げておきたい。
まずは2002年3月に登場したマーチBOXである。K11型マーチをベースに、ワゴンテイストを盛り込んだ派生モデルがマーチBOX。広いラゲッジと実用性を備え、ファミリー層や趣味ユーザーをターゲットとした。
リアハッチにはプルハンドルとバックドアハンドルを設定し、後席を片手で操作できる6:4分割ダブルフォールディングリアシートとするなど、ショートワゴンながらワゴンに必須の能力も備えていた。
ホイールベースはベース車と同じだが、リアのオーバーハングが延長されて全長は3980mm。室内は、全高を25mm高めたことで、頭上のスペースに余裕が確保された。
そのユニークなスタイルが受け入れられなかったのか、販売面でも同社のパイクカーシリーズ(Be-1、パオ、フィガロ)のようなヒット作にはなり得ず、総販売台数は8000台あまり、2002年3月~2003年8月までのたった1年5カ月で消滅した。
記憶に残る短命車/トヨタ ヴォルツ:販売期間1年8カ月
ヴォルツは、日米貿易摩擦解消モデルとして、トヨタ(シボレー)キャバリエを国内販売したものの、販売不振に悩まされた。そのトヨタが、企画段階からGMと手を組み、トヨタ主導により開発したクロスオーバーSUV。車両の企画はトヨタとGMが共同で行い、設計と評価はトヨタが担当した。生産は、GMとの合弁会社であるカリフォルニアの「NUMMI(New United Motor Manufacturing, Inc.)」で行われた。
米国で企画されたクルマだけあって、前席と後席居住空間および荷室の広さは十分。クロスオーバーSUVならではの高めの最低地上高ゆえに、使いやすいクルマではあった。
しかし、2002年8月~2004年4月までの販売台数は9012台と低迷した。国産車離れした斬新なデザインが当時の日本人にはマッチしなかったことや(というよりカッコ悪かった)、SUVに他ジャンルの特徴を融合させたクロスオーバーSUVの魅力が理解されるほど市場が成熟していなかったことも、販売が振るわなかった要因として考えられる。
記憶に残る短命車/三菱プラウディア/ディグニティ(初代):販売期間1年1カ月
今見ると、これだけ豪華だから売れそうな気もするのだが、まったくといってもいいほど売れなかったのが三菱プラウディア/ディグニティだ。2000年2月~2001年3月まで、販売期間は1年1カ月と超短命に終わった。販売台数はプラウディアが1228台、ディグニティが59台だった。
韓国の自動車メーカーのヒュンダイと共同開発した大型セダンで、当時のライバルはトヨタセルシオ、日産シーマだった。エンジンは当時三菱が推進していたGDIで、3.5L、V6と4.5L、V8という超豪華ラインナップを誇った。
このプラウディアのホイールベースを250mm延長したリムジン使用がディグニティだ。こちらのライバルはトヨタセンチュリー、日産プレジデントだった。
特にディグニティは三菱グループ御用達のハイヤーとしての需要がほとんどという状態。駆動方式がFFだったため、プラウディア、ディグニティとも後席の広さは充分だったが、高級車としてのハンドリングは不評だった。姉妹車のヒュンダイエクウスが韓国で好調に売れて10年にわたり販売されたのとは対照的な結果に終わってしまった。
初代センチュリーは29年4カ月、デボネアが22年生産され続けたことを考えるとあまりにも短命である。





コメント
コメントの使い方